アスペルガーの持つこだわり〜パートナーを通して考える【後篇】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前篇では私のパートナーにおけるアスペルガーのこだわりを、私の視点で書いてみましたが、後篇ではアスペルガーであるパートナーから見た視点で、定型と言われる人々や、定型を基準に構成されている社会がどう見えているのか、『アスペルガー視点による定型』を聞き取ってみたので書いてみたいと思います。定型の人には耳が痛いことや辛辣な言葉もあると思います(笑)

——幼少期を振り返って、“何か違う”“なぜ、みんなそうなんだろう”と思ったことは?

幼少期より極度な人見知りだった。よく覚えているのは幼稚園児の頃は家以外のトイレには入れなかった。それは『行きたいけど行けない』ではなく、家のトイレ以外を『汚い』と感じていて強い抵抗感があり、我慢していた。幼稚園であれ学校であれ、当時の公衆トイレは和式が主流で、使い方に不慣れだったこともある。公衆トイレには和式・洋式問わず今でも抵抗感はあり、家まで我慢できるなら極力我慢している。
また、一人遊びが好きで(例えばミニカー。ここでも自分なりの規則性があり、無意識にそれに則って)いつも一人で遊んでいたが、母からは「友達と遊んできなさい」と言われて苦痛だったことを覚えている。親しい一部の人以外と関わるのが嫌だった。今思えば極度な人見知りも影響していたのかもしれない。中学生になるまで、俗に言う『おとなしい子供』で母が友達ができるか心配したほどだった。

——他者に言われて、頭ではわかるけど、自分にはどうにもこうにも納得できなかったことは?

日本人が重んじる協調性や同調圧力には納得がいかないことが多い。『察しろ文化』が苦手。見返りや貸し借りと感じることがある。組織においては、雑用などは新人や下の者がやるべき、ということが当然とされていることも納得がいかない。基本的には『気づいた人がやればいい』と思っている。それを頭ごなしに新人や下の者の役目、と言われたり強制されると『なんで?』と心の中で合理的理由を求めてしまう。

——社会に出るとさまざまな人と関わることが増えるが、どういった場面や部分で違和感があったり、理不尽と感じるか?

さっき言った、新人や下の者はこうあるべき、こうすべき、みたいなことは今でも理不尽だと感じている。大体において合理的理由を言ってくれることは、まずない。言ってくれて、その理由に納得しさえすれば素直に聞き入れられることもあるのに、言われないことのほうが多いから、理不尽と感じることも多くなる。なぜ合理的理由を言わないのか、いまだにわからない。それでも仕方なくやっていると、やる気がないだの、ちゃんとやれだのと文句を言われる。まったく理不尽だ。定型の思い上がりを感じるね(笑)

——他者と関わりを持つ中で、納得がいかないところはどんなライフハックを身につけてきたか?

ライフハックと言えるのかわからないが、就職してからは飲みに行くことで、自分一人で消化しづらい感情をリセットしていた。ただチェーン店の居酒屋で飲むことは絶対になかった。そういう所では消化どころか、逆に落ち込んだり怒りが募ってくるから、一人で行っても話せる飲み屋にこだわっていた。手っとり早いのはキャバクラとかクラブとか、オネーちゃんがいる店ね(笑)同時にバーを探していた。行きつけになれば一人で行ってもバーテンと話せるし、家でもない職場でもない第三の居場所になるかな、と思って。ライフハックという言葉は知らなかったから、当時はいい意味での『逃げ場所』という認識だった。今でもそうだが、自分にとってそういう飲み屋=再生ドック、と思っており、気持ちの重み、澱を軽くする場所になっている。

——定型と言われる人たちのどこが面倒、必要ないだろうと思うか?

言葉でちゃんと言わないくせに、ヘンな協調性を求めたり、気持ちにしろ、行動にしろ、こういうものだ、と勝手に決めつけ、無意識に押し付けてくるところがメチャクチャ面倒で迷惑。『オマエの価値観を押し付けるな』と思う。具体的には上手く言えないが、一度相手と根本的に文化が違うと思ってしまうと、話し合っても無駄だと思っている。それから、合理的ではないことを、合理的ではないとわかっていながら『そういうもんだから』と合理的にしないところは、非難を承知で、もはや『バカか』と思ってしまうね。
また、関心がない相手には聞かれたことには答えるけど、オレからは聞き返すことはないね。例えば、相手に「ご出身はどちらですか?」と聞かれれば「東京です」と答えても、「〇〇さんはどちらですか?」と聞き返さない。だから会話が続きにくい(笑)。場面によっては意識して聞き返すようにしているが、そういう時の後は尋常ではないぐらい疲れるね。『聞き返してほしいんだろうな』『聞き返したほうがいいんだろな』と思うことがもう面倒だし、そもそもこっちは答えたのだから、聞き返されなくても言え、と思う(笑)

——今まで他者に共通して何度か言われてきたこと、思い返すことはあるか?

何を考えているかわからない、地雷がわからない、ミステリアス、親からは難しい子、と言われている。急な予定変更や予定どおりにしてくれないことには怒りを覚える。定型の人もそうかもしれないが、筋が通らないことも嫌だし、そういう人は絶対に信用しない。ただちょっと違うのは、人を『性悪説』で見ているところが定型よりも徹底しているかもね。大体において言行一致であるかどうかをシビアに見ている。

——人間関係、恋愛遍歴の中で、今思うとアスペルガー特性が起因で衝突、スレ違いがあったエピソードは?

妹の披露宴の時。最初に記念撮影をするということで、予定の時間より10分前に会場に着いたのに、ホテルスタッフに「皆さんもう雛壇に整列されているのでお急ぎください」と到着早々言われ、反射的にブチギレた(笑)オレは遅刻していないのに、あたかも遅刻したかのような言い様だったから。しばらくして聞いたが、あの時はブチギレという言葉では済まない、それとは種類の違う、恐怖を抱く凄まじい激怒だったようだ。
それから、恋愛遍歴での衝突はない。アスペルガー特性がどうのこうのという域までいかないうちに終わってしまうか、終わらせてきたから。だから今までの恋人はオレがアスペルガーであったことは知らないと思う。オレ自身ここ2〜3年で自分がアスペルガーだと自覚したんだから(笑)
また、過去の失敗経験から『前は〇〇だったから』ということで、自分の中に“人間行動パターン”を持つ傾向がある。過去の失敗経験に似た場面だと思ったら徹底的に避けるし、そういう人がいたら必要最低限しか口をきかない、目も合わせないね。

——定型に対して思うことは?

もっとドライでいいと思う。美談と言われる話は辟易する。『愛は地球を救う』というテレビ番組、あれは鬱陶しいよね。あと『みんなと一緒』思考がまったくわからない。みんなと同じでないと不安になるという心理が理解できない。新卒一括採用で必死に就職活動している学生は滑稽にしか見えない。一社からも内定を得られず自殺する学生もいるらしいが、へぇー、ぐらいしか感じない。長い物に巻かれなければ上手く生きていけないのが定型社会だとしたら、オレみたいなアスペルガーはある意味最初からアウトロー、生きにくいわけだよね。だけど、そういう定型社会はもう限界に来ていると思うな。ダイバーシティとか多様性とか、ある部分で既存の定型社会では収まらない価値観が出てきているから。定型連中はそれに気づいて多様性とかダイバーシティとか言っているのか知らないけど、多分そんなことは考えずに流行りに乗って言ってるだけだろうな、実際、現場は多様性やダイバーシティなんて程遠いし、絵に描いた餅にしかなってないから。そもそも人は多種多様なんだから、今さら何言っちゃってるの?と思う・・・あのさぁ、定型ってバカなの?

——屈託のない笑顔で「定型ってバカなの?」という問いに思わず噴いてしまいました。決して彼は自分は頭がいいという意味で言っているのではなく、子供がするような、無垢な質問という感じでしょうか、車椅子の人を見て「あの人はなんで足がないの?」みたいな感じですかね(笑)

——私は(ド)定型だけど、定型に対して何か意識していることは?

そうだな、共感することかな。共感ポイントを見つけて意識的に共感するようにしている。腹の中では違うことを思っていても言葉や文字では“この場合、こう言った(書いた)ほうがいいんだろうな”と考え、パターン化している。(定型である)君を見ていて『もっと(言いたいことを強く)言えばいいのになぁ、ユルいなぁ』と思うことはある。オレから見て、そういうところは【定型障害】という定型ならではの障害なんじゃないか、と思ってしまう。あえて定型障害と表現すると、定型は一般的に「察することが善」を無条件で求め、当然のことと考えている、「“みんな”はこうしている」を当たり前に求め、それをやらない(できない)と調和を乱す異分子と受け取る傾向がある気がする。疑問があっても「みんなそうしている」という文系的な答えで合理的な答えが返ってこないのは【定型障害】の典型例だと思う。こういう中で生きていると、定型善、発達障害悪という風潮に「定型ナニ様?」と感じるね。そういうところ、定型も振り返って改善したほうがいいよ。自分達を障害と思ったことがないだろ、だからオレに【定型障害】とか言われちゃうんだよ(笑)

【定型障害】という造語には目からウロコというか、そういう視点はなかったなと思って、無意識に定型を基準に物事を考えていた自分にハッとしました。彼が「定型ナニ様?」と言うのもわかります。定型のほうがマジョリティな社会だから定型側を基準に考えがちですが、それ自体傲りで反省すべき点かもしれません。

パートナーはアスペルガーだから生きにくいと感じつつも、定型に合わせようとはせず(合わせる気がない)、場合によってはぶつかることも厭わない姿勢がここまで言えるのかな、とも思いました。どこか正々堂々としているというか、上手く言えませんが、アスペルガーだからといって卑屈ではないことは確かです。もし「どうしてそういうふうにいられるの?」と聞いたら、

「なんで定型に合わせる必要があるの?」

と、逆に聞いてくる姿が目に浮かびます(笑)

今月15日土曜日は夏季休業のため、コラムはお休みします。お盆明けは20日木曜日から掲載します。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

「アスペルガーの持つこだわり〜パートナーを通して考える【後篇】」への3件のフィードバック

  1. Awsome post and right to the point. I am not sure if this is
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