『意識したコミュニケーション』の重要性

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

弊社はメンタルサポートと広告制作の業務をしています。先日、広告制作の仕事で、ある店舗経営者からコンサルティングのご依頼を受けました。ざっくりと言うと、店舗のイメージを刷新したいが、どうしたらよいか?というものでした。

その時、当たり前ですが、クライアントの話を聞くところから始まります。クライアントの話、つまりはクライアントが考える店舗のイメージをまず聞くということです。広告業界でいうところのオリエンテーションです。

クライアントはクライアントの思いを語ります。その時に聞く側、つまりここでは私側が重要になるのは、その思いに疑問に思ったとしても一度は受け入れることを『意識する』ということです。つまり否定はしないことです。

ただそれだけでは、私がいる意味がなくなってしまうので、私の意見を求められた時は「そのお考えを軸に、こういう考えをプラスしてみては?」という言い方を心がけています。これは意識しないと、つい「いや、こうしたほうがいいと思いますよ」という言い方になり、相手をちょっと不快にさせてしまう可能性があります。出鼻をくじかれる、という感覚でしょうか。最初の“いや、”という言葉は否定の言葉だからです。類似した言葉に「でも」「それよりも」などがあります。

話をしている過程で、何度もあたまに“いや、〇〇がいい”“それよりも、〇〇がいい”という言い方が続くと、相手はどんどん否定された気持ちになります。そしていつしか『カネを払うのはこちら側なのに・・・』と、たとえ正しいことを言っていたとしても、相手は不快感が強くなり「なんか気分が悪い、不愉快だ」になります。憮然とした顔になっていきます。

なぜか?クライアントも人間だからです。

人間だから否定されたら単純に嫌な気持ちになります。否定の仕方が直球過ぎると、たとえ正しいことでも、人は反射的に不快感を覚えます(正義を振りかざす人は、大体こういう傾向にありますね(笑))信頼関係が築けていない相手からだと尚更です。言われた側は「こっちの苦労や事情も何もわからないくせに、わかった口を利きやがって」となります。

クライアントに不愉快な思いを極力させないように意見する時は、相手の言うことに耳を傾け(だいたいここまでは社会人であれば誰でもできていると思います)、その後、相手の考えを肯定しつつ、その考えを膨らませることを“意識して”、自分の考えを伝えることを心がけます。

膨らませた結果、一見クライアントの考えとは別のものになることがありますが、ベースはクライアントの考え、が軸になっているので、ブラッシュアップされたものとして受け入れてくれることが多々あります。

例えば料理で言えば、料理好きな妻(夫)が「おにぎりを作ったよ!」と言ったとします。誰が作っても美味しいと思いますが、まず「美味しいね!」と言います。大体はここで終わると思いますが、あえて次に「ひと口サイズも作ってみたら?そしたらついついいつもの量よりいっぱい食べちゃうかもー!」と言います。

美味しいことを伝えるだけでもいいですが、それに『ひと口サイズ』を提案し、さらに『いつもよりいっぱい食べちゃうかも』と期待感を伝えることで、料理好きな妻(夫)のモチベーションをくすぐる、という構図です。美味しく完食されて完結するのが料理の最大の目標ですから、次はもっと美味しいもの作るぞ!となるかもしれません。

そうすることで、一緒に作り上げている気持ちを抱いてもらいやすくなります。今度のことでいえば、店舗のイメージを一緒に作り上げる気持ちを抱いてもらえるということになります。考えを相手に言い聞かせる、というスタンスだと主従関係のようになり、クライアントなのに『従』の立場になるのは、ちょっと腹立たしくなるのは当然でしょう。また依頼された側もクライアントに『従』だと疲弊しかねず、いいパフォーマンスを発揮しにくくなり、言われたとおりやればいい、となります。

仕事において主従関係はあまり好ましくない。厳密にはそうでも、現場ではそれを感じさせないコミュニケーションが重要になると思います。対等とは違いますが、一緒に作り上げるチームのような関係は、クライアントもこちらも高いモチベーションで取り組めることは経験上間違いはありません。

それにはやはり“相手の考えを否定しないことを意識したコミュニケーション”が重要だと改めて感じさせられました。

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PTSDとは【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

慢性化したPTSDではトラウマ記憶が断片化しているため、ツラい体験の核心部分の記憶を回避するよう思い出さなくなっていたり、思い出しにくくなっています。

いつまでも回避し続けると、記憶に触れたときの嫌な感情(恐怖、絶望、不安)に慣れることができず、より一層回避が強くなるという悪循環が生まれます。

また、トラウマ記憶の全体を整理することができないことで実際よりも不安を感じたり恐怖を強く感じたり、必要以上に自分を責めてしまったり、人間不信になることもあります。

言い換えると、PTSDのトラウマ記憶とは

昔の怖かった出来事の記憶ではなく、今でも恐怖を生み出し続けている特殊な記憶

ということになります。これを普通の記憶に戻すこと、つまり「トラウマ記憶は過去のことであり、思い出しても今の自分が被害を受けるわけではないこと」を実感してもらうことが情動処理の認知療法となります。長い間トラウマ記憶に苦しんでいるとその影響を受け、自分や周りの人々に対してネガティブな受け取り方や感じ方をする癖がついていることも多くあります。認知の歪み、それを修正していくことも治療の目標になります。

虐待のように長期的に繰り返される被害を受けた場合に特にこのことが重要になります。

治療のためにトラウマについて話しをしながら気持ちや感情を整理していく認知行動療法を行います。その代表的な心理療法が持続エクスポージャー法で、スモールステップで安心、安全を確かめながら心理士と一緒に決まった手順に従い記憶を想起し、今までとは違った捉え方や考え方感じ方を学んでいきます。

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PTSDとは【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

PTSDとは外傷後ストレス障害のことで、誰にでも起こりうる不安障害の一つです。言葉を聞いたことがある人は多いと思います。

実際に命の危険に晒されることや身体的な統合性の危険が起こったり、本人がそのような危険が生じていると感じた時、またその出来事を想起させる体験、目撃した後に生じます。

具体的には戦争、災害、犯罪被害者になる、事故に巻き込まれたり事故の目撃、養育者からの虐待、パートナーからのDVなどですが、そのような出来事があると人は戦慄や恐怖、無力感などを感じます。これはすべての人に同じように起こるというものではなく、同じ体験をしてもPTSDにならない人もいます。しかし、PTSDにならないから心的外傷がないというわけではありません。

震災時に被災者PTSDのためにチームの一員として被災地入りした際、実際に次のような症状が現れ、また消失していきました。

PTSDに起こる、また起こる可能性が高い症状を順を追い説明します。

【1】
再体験症状
●出来事の苦痛を伴う反復的な想起、夢などで、実際には目の前で現実に起こっていないにも関わらず知覚、心象や思考を伴う。

回避症状
●外傷(苦痛)と関連した感情や思考、会話などを回避しようとする。
●外傷(苦痛)と関連した場所や人物を避けようとする。

過覚醒症状
●苛立ちや怒りの爆発。
●入眠障害や入眠後中途覚醒。 
【2】
再体験症状
●外傷的な出来事が今まさに起こっているかのように感じたり行動する(再体験しているような感覚や幻覚を感じたりフラッシュバック)。

回避症状
●出来事の重要な部分にある想起が不能となる。

過覚醒症状
●集中が困難。
【3】
再体験症状
●外傷的出来事にある一つの側面に対し、何かのきっかけにより類似する内外的に暴露された場合に生じる激しく強い心理的苦痛/生理学的な反応。

回避症状
●今まであった社会活動への関心、興味の著しい減退。
●変わらない人間関係が存在しているにも関わらず感じる疎遠、孤立感。
●持ち合わせていたはずの感情範囲の欠如や減退(労りや思いやり、愛の感情など)。
●持ち合わせていたはずの未来感の欠如や減退(思い描いていた仕事、結婚、子供、老後など)。

過覚醒症状
●取り巻く環境や他者に対して過度な警戒心を持つ。
●現実に起こった事象に対して過度な驚愕反応。

時間の経過と共に軽くなっていく症状がある反面、ショッキングな記憶からPTSD症状がそのまま慢性化し、今までのような日常生活が送れなくなるケースもあります。

とても辛いと思います。

次回は、PTSDに対する治療として効果的と言われる情動処理理論からお話しします。

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『幸せ』って?K+A ≒ S

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

今回は『幸せ』って何だろう?ということを改めて考えました。昔から言われることですが、それだけに『幸せ』とは『これ』というものはないのかもしれません。

幸せとは人それぞれ、とはそういう所以だろうと思います。その人の価値観によって幸せの形も違ってくるからだと思います。

ここでは私なりに考えた『幸せ』を書こうと思います。俗に“高級”と言われるものを所有したり消費したりすることも含めて、そこで終わらずその先にあるものに着目しました。

どういうことかというと、高級であれ安価であれ、その部分は関係ありません。それを体験した時の『気持ち』が大切だということです。

例えば私は先日、数年ぶりにカップヌードルとペヤングソース焼きそばを食べました。決して高級品ではありません。コンビニエンスストアやスーパーマーケットで数百円です。しかし、とっても美味しい!と感じました。そうです、この『美味しい』と感じたことが重要ということです。

また今時期だと、夏の海でサンセットを見た時は『美しい』と思うし、新幹線から富士山が見えた時は『きれい』と思います。

そう考えると、美味しい、楽しい、きれい、美しい、かわいい、などの形容詞をいかに感じる日々を送るかが鍵となります。

表題にあるKとは形容詞のことです。

ではAとは何か?それは『ありがとう』のAです。美味しい、楽しい、きれい、美しいなどの形容詞を感じる体験の後、自然と感謝の念が湧きます。美味しい料理をありがとう、楽しい時間をありがとう、美しい夕陽(朝陽)を見て神様に感謝、など感謝の念が不思議と湧き上がります。

この感謝をそれを提供してくれた相手や対象に伝えると『幸せ』を相手とも共有できます。

私たちはそれを既に無意識にやっています。美味しい料理を食べた時、「美味しかったぁ、ありがとう」と言っていませんか?そう言われた側も照れながら「いえいえ、ありがとうございます」と言っていると思います。

その時、私は『幸せ』を感じます。私一人が一方的に『幸せ』を感じるよりも、相手と共有できた時はその幸せをより強く感じます。

そういったことを意識的に感じること、それによって日常が『幸せ』になるのではないかと思うのです。そうすれば、幸せを感じるために特別なことを体験する必要はなくなります。日常に幸せを多く感じれば、結果幸せの多い人生になる、と思うのです。すると必然的に心が豊かになるのかな、と思います。

猫を飼っていれば、その猫はかわいいし癒されます。猫に『一緒にいてくれて、ありがとう』という気持ちが自然と湧きます。金魚やトカゲ、カエルを飼っていても同じです。

形容詞+ありがとう ≒ 幸せ(K+A ≒ S)

私は日常における幸せ、強いては人生における幸せとは、とりあえずこういうことの積み重ねかな、と思っています。

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心の生活習慣

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は私が普段から意識したり、実践していることについてお話ししようと思います。

当然疲れ果ててできない日もありますし、何となくサボってしまう時もありますが、それこそ“人間だもの”と自分を許し(甘やかし?)、「明日はやろっと!」と思うだけです。

普段から常に意識しているのはマインドフルネスです。

私は主に脳の疲れをリセットしたい時やストレスマネジメントに使っています。慣れると電車内でも自転車に乗りながらでも、周りに注意は払いながら瞑想モードに入れます。

私は本来感情の起伏もなだらかでイライラしやすいタイプでもキレやすいタイプでもありませんが、モヤモヤしたり『?!』は感じるのでマインドフルネスを心掛けています。

折り合いをつけづらい(理不尽が多い)気持ちはコラム法で視覚化し、自分の中に認知の歪みが出ていないか確認し、ごちゃごちゃになりやすい問題は課題の洗い出しでマインドマップを使います。

コラム法:その時の出来事とその時の感情、思考を紙に書き出し、自分の認知の癖に気付きバランスを整えていく認知療法。

一番気持ちがザワつくことが多いのは、やはり発達障害重複(ASDとADHDの両方)を持つ思春期真っ只中の手強い息子に対してで、普段から気持ちをフラットにしておくことを心掛けないと、あっという間にバイアスがかかり親子関係が悪化します。

私のスキルは息子に鍛えられていると言ってよいかもしれません(笑)。手強い息子に感謝です。

人は思考、感情の生き物です。感情がなければ人間とは言えないかもしれませんね。考えなくなったらただの葦ですし・・・。

ただ、感情のままに生きる、感情を他者にぶつける、これでは自分も苦しいことがあります。そんな感情マネジメントができない人が相手だと、他者も付き合いづらいと感じるでしょう。当然人間関係に齟齬や軋轢を生みやすくなります。

感情マネジメントとアサーションを身につけるのは、気持ちよい人間関係構築のための社会人必須のスキルではないか、と思う今日この頃です。

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モヤモヤする違和感

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

これほど“猫も杓子もマインドフルネス”になるずいぶん前から、パーソナルでも企業講習でもマインドフルネスセッションをおこなっているのですが・・・。

マインドフルネスは“今ここ”に意識を集中させ感じていくことからスタートします。その中で“ありのまま”(例えば負の感情)をそのまま、何もジャッジせず意識し、受け取っていくのですが、社会的にまだまだネガティブな感情を【悪/マイナス/敵】、ポジティブな感情を【善/プラス】と見なし、やれポジティブになろうだとか、ポジティブになるためにだとか、ネガティブを捨てようだとか・・・。

“今の感情をありのままジャッジせず受け取る”のがマインドフルネスなのに、ネガティブ=悪、のような先入観があると自動的に「ネガティブ良くない」フィルターがかかり“そのままの自分の感情”を受け取ることができません。

物事には裏表があるように、光があるところには影ができるように、ポジティブだけでルンルン生きていける人などいないのです。楽観的だけ!なのもどうかと思いますが・・・。

大切なのは“○○があってネガティブな自分”になっていることに気付き、そんな自分も自分の一部であることを否定、拒否せずに受け止めていけることです。

人は多面体で感情も然り

マイナスをマイナスと決めつけるのではなく(実際にマイナスと思えても)、「今自分は、うまくいっている〇〇さんを妬んでいる」「騒ぎながら道いっぱいに広がって歩いていた高校生に腹が立った」の“妬み”“怒り”といった感情を「そんなふうに思ってはいけない(否定)マイナス」「当たり前だ(肯定)」と自分フィルターをかけず、「自分は妬んでいる」「自分は怒っている」をそのままあるがまま感じ、受け取るのです。

感情だけではありません。

『この卵焼きは美味しい』を“柔らかくて”“歯触りが良くて”“塩みと甘味がちょうど良くて”としっかり意識して味わう。これもマインドフルネスセッションでお伝えすることです。

実際にレーズンや浅漬け、チョコレートや飴を使ったワークもやります。もちろん瞑想がベースのマインドフルネスですから、レーズンを“味わう”ことばかりにフォーカスしていませんが(笑)

ストレスマネジメントでいくつかある方法の中でも、マインドフルネスはやりやすさと継続しやすさで群を抜いています。

キリキリすることが多い毎日をマインドフルネスでラクにしませんか?

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