メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。
今回は『幸せ』って何だろう?ということを改めて考えました。昔から言われることですが、それだけに『幸せ』とは『これ』というものはないのかもしれません。
幸せとは人それぞれ、とはそういう所以だろうと思います。その人の価値観によって幸せの形も違ってくるからだと思います。
ここでは私なりに考えた『幸せ』を書こうと思います。俗に“高級”と言われるものを所有したり消費したりすることも含めて、そこで終わらずその先にあるものに着目しました。
どういうことかというと、高級であれ安価であれ、その部分は関係ありません。それを体験した時の『気持ち』が大切だということです。
例えば私は先日、数年ぶりにカップヌードルとペヤングソース焼きそばを食べました。決して高級品ではありません。コンビニエンスストアやスーパーマーケットで数百円です。しかし、とっても美味しい!と感じました。そうです、この『美味しい』と感じたことが重要ということです。
また今時期だと、夏の海でサンセットを見た時は『美しい』と思うし、新幹線から富士山が見えた時は『きれい』と思います。
そう考えると、美味しい、楽しい、きれい、美しい、かわいい、などの形容詞をいかに感じる日々を送るかが鍵となります。
表題にあるKとは形容詞のことです。
ではAとは何か?それは『ありがとう』のAです。美味しい、楽しい、きれい、美しいなどの形容詞を感じる体験の後、自然と感謝の念が湧きます。美味しい料理をありがとう、楽しい時間をありがとう、美しい夕陽(朝陽)を見て神様に感謝、など感謝の念が不思議と湧き上がります。
この感謝をそれを提供してくれた相手や対象に伝えると『幸せ』を相手とも共有できます。
私たちはそれを既に無意識にやっています。美味しい料理を食べた時、「美味しかったぁ、ありがとう」と言っていませんか?そう言われた側も照れながら「いえいえ、ありがとうございます」と言っていると思います。
その時、私は『幸せ』を感じます。私一人が一方的に『幸せ』を感じるよりも、相手と共有できた時はその幸せをより強く感じます。
そういったことを意識的に感じること、それによって日常が『幸せ』になるのではないかと思うのです。そうすれば、幸せを感じるために特別なことを体験する必要はなくなります。日常に幸せを多く感じれば、結果幸せの多い人生になる、と思うのです。すると必然的に心が豊かになるのかな、と思います。
猫を飼っていれば、その猫はかわいいし癒されます。猫に『一緒にいてくれて、ありがとう』という気持ちが自然と湧きます。金魚やトカゲ、カエルを飼っていても同じです。
形容詞+ありがとう ≒ 幸せ(K+A ≒ S)
私は日常における幸せ、強いては人生における幸せとは、とりあえずこういうことの積み重ねかな、と思っています。
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