メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。
11月になり今年も残り2ヶ月となってしまいましたね、如何お過ごしでしょうか。
何度かコラムでも書いていますが、人はわざわざ意識しなければさまざまなバイアス(無意識な歪んだ捉えからのクセ)に影響を受けまくって生活している生き物です。
例えば、
- 男性は浮気をする生き物。←しない人もいますし実際に知っています。
- 女性は甘いものやフルーツが好きだよね。←私は果物が大嫌いです。
- 普通はみんな〇〇するよね(〇〇しないでしょ)。
- 普通は〇〇なんて考えないでしょ。
- 普通言わないよね。
- みんなスポーツ好きでしょ。
- オリンピック(ワールドカップ)見ないなんて(興味がないなんて)信じられない・・・。
などなど。
“普通”・・・何を基準に普通と言っているのでしょうか?
“みんな”・・・どこにいる誰を指して“みんな”と言っているのでしょうか?
“普通”“みんな”は全部あなたの中にある歪んだ考え方、一方方向からの見方や価値観に基づいていませんか?
現代社会の常識に照らし合わせた時に、あまりに非常識である場合は私も「普通わかるよね」と使う場合がありますが。
例えば、誰かの連絡先を本人に確認/了承を取らずに他者に教える、本人の了承を取らずにSN Sなどに画像をアップする、どう使われるかわからないのに顔写真やプライバシーに関わることをよく知りもしない他者に漏らす、などがあります。自他を守るために意識しなくてはいけないネットリテラシーと言われる部分でもありますね。
上記でもない限り、“普通”はあなたの中にある普通であり、“みんな”はあなたが知る範囲でのみんなということになります。
倒れている人が居たら助けるのは当たり前だよね。
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その考えは当たり前ですか?義務ではありませんが人道的に考えれば助けたほうがいいでしょう。では、具体的に“助ける”とはどこまでを助けると考えていますか?
- 助け起こしてできる処置があればする(AEDなど救命処置)。
- 意識があれば連絡先を聞き、そこに連絡する。
- 警察を呼ぶ。
- 救急車を呼ぶ(必要かわからないが倒れてたから)
このどれもが“助ける”行為に繋がっています。
倒れている人がいれば駆け寄って助ける←これがあなたの常識だったとしましょう。
どのようなトラブル(感染症なども含む)に巻き込まれるかわからないので、さまざまなリスクを考え、一旦退き警察や救急車に連絡する“だけ”の人に対して「普通助けるでしょ!」と考えるでしょうか。
知識のあるメディカル/コメディカルであれば、バイタルを確認して外傷など調べ骨折部位があれば添え木をして固定するくらいはやるかもしれません。
しかし、ほとんどの人は足がすくみ動けなくなってしまうか、救急車を呼ぶぐらいしかできないと思います。
このように“助ける”行為ひとつとっても人それぞれの考え方があり、人それぞれの行動があるものです。
あなたのバイアスはどこにありますか?その捉え方や考え方は“あなたの考える普通”ではありませんか?
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