ASD積極型/受動型【3】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、周囲の無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

大人になってから社会、家庭での違和感や生きづらさから、精神科やメンタルクリニックを受診し(連れて来られるも含む)診断がおりる発達障害(グレー含む)の人が増えています。

発達に凸凹が大きいとライフステージによって、さまざまな不安や困り感(本人/周り)が表れます。

落ち着きがない、遅刻ばかりする、忘れ物・失くし物が多い、ケアレスミスが多過ぎる、というわかりやすい表れ方とは違い“人間関係”はわかりづらく、言葉としても表現しづらい悩みとして積み重なっていきます。

周りから「何か違う」「ちょっと変」「人の気持ちがわからないのでは?」「無責任」「無神経」、本人は「他者と上手く関われない」「誰も自分の気持ちをわかってくれない」「いつも自分が悪者になってしまう」「わからないのに教えてくれない」「なぜか嫌われる」「すごく疲れる」といった訴えを聞きます。

前回、前々回で2つのタイプについてお話ししましたが、今回取り上げる受動型は“仕事ができるかどうか”はともかく、空気は読めなくても表立って他者を批判したり攻撃的な言動がないので穏やかに見えます。おっとりとしているように見える人も多く、物腰も柔らかいので第一印象は良いはずです。

受動型の一番の特徴は“自分の考えや意見を言わない”ではないでしょうか。もちろん彼らには彼らの考えはあるようですが、他者の意見や考えに反対意見をあまり述べず、否定しないので「何でも任せてくれる」「否定されない」「受け止めてくれる(ように見える)」と、最初の人物評価は概ね良です。

社会(会社/組織)と家庭では他者との関係も距離も違い、また求められる役割も違います。組織も家庭も“チーム”だと考えていますが、どうも同居家族(夫・父親、妻・母親)の役割において周りの困り感が爆増するように思えます。

  • 言えばやってくれる→言わないことはやってくれない(想像できない、気付かない)
  • 何でも任せてくれる→自ら考え動かない(責任を負わない)

受動型が表立ってトラブルが少なく感じるのはその“受け身姿勢”にあります。前回も書いていますが、基本が受け身なので積極型のように他者都合を無視して、バウンダリーオーバーしてグイグイいくことはありません。バウンダリーだけを考えれば良識的で大人に感じるでしょう。

この“受け身姿勢”は何もない平常時は「私の気持ちや考えを尊重してくれているのね」と思われるため問題ないのですが、困るのは何らかのトラブルが持ち上がり、家族協力しなくてはいけない有事です。他者任せの受動型は自らトラブル解決に動きません(動けません?)。これは自分が困っていなければ家族が困っていても気にしない、という他者への興味関心の薄さもあります。「何とかなるだろう」という見通しの甘さに加え、「何とかしてくれる(だろう)」という他者任せの受け身な考えからくるものです。

家族が知らない間に借金を繰り返し、何度も話し合っても改善されず(話が噛み合わず奥さん側が感情的になってしまう、もセット)、生活が立ちいかなくなって離婚、夫婦で子供のことを考えようとしても「任せるよ」「それでいいんじゃない」と話し合いにならず、結局相手任せの丸投げ、よく聞くあるある話です。

自分視点が強く他者視点で物事を考えられないのはASDの特徴でもありますから、相手の気持ちがわかりません。気持ちがわからないので、なぜ有事なのか理解できません。やってもらうことに対し従属的であっても、解決しなければならないことに対して能動的にならない(なれない)のが受動型です。

ライフステージでさまざまな困り感が表れる発達障害、受診(診断を受ける)の目安を聞かれることがあります。

  • 本人に違和感や生きづらさを感じている。
  • 職場や家族など周りから勧められる←周りの人たちには違和感や困り感があるということです。

本人が困っていなければしなくてもよいと聞くことがあり、確かにそうなのですが・・・。本人に困り感がなく、周りも困り感がないのであれば受診の必要はないと思っています。障害(脳のクセ)ですから、診断を受けたからといって治療をすれば完治するものではありません。私は本人が「自分を知り、自分(&周りと)とどう付き合っていくか」を考えるきっかけと、周りが「こう接していけばいいのか」を知る最初の一歩にするのがよいのではないかと考えています。

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