溺れる者は藁をも掴む

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

新年明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年末年始は如何お過ごしでしたでしょうか。仕事初めがあった直後に雪で本日10日は3連休最後のお休み、少しホッとできた頃だろうな、と思います。一方でコロナ感染者が徐々に増えていて、まだまだ不安が払拭されない年明けとなりました。

歴史を振り返ると、疫病蔓延、飢饉、飢餓、ノストラダムス1999年世界滅亡論など、人々の不安を煽るような“何か”が起こるたびに怪しげな宗教家や占い師、祈祷師、胡散臭い預言者などが現れ人々の不安につけ込み、ますます不安を煽って混乱に陥れ、“救われる”、“正しい”と言われる道に導いたり導かなかったり、詐欺にも似たことを繰り返してきました。

『コロナ禍+ストレス社会』でもある現在も同じように不安、不満、不信が蔓延しやすい状況と言えます。将来不安(経済的、身体的)がなく、日々充実、十分な休養も取れている状態だと人は皆不安は極めて少なく、余裕を持って“その人らしく”過ごすことができます。

将来不安は随分前からこの国には蔓延しているように思います。雇用や年金、教育は働く人にとっては身近な問題として感じてきたのではないでしょうか。いつリストラに遭うかわからない、賃金が上がらない、でも社会保障費(給料から天引き)の負担は重くなるばかり。消費税も上がりました。年金も貰えたとしても暮らしていけるのか?教育もお金がかかり、結婚しても安心して子供を産み、育てることに躊躇してしまう・・・二人目なんてとんでもない。親の介護、自分が将来病気になったら医療費もかかる・・・などなど経済的な不安は高まるばかりです。

そこにコロナです。ただでさえ経済的不安が蔓延しているところに、このコロナは厳しい現実を突きつけました。この2年で経済的困窮者は明らかに増え、明日は我が身の状況です。

希望が見えにくい、まさに不安蔓延社会です。

このような不安が蔓延している現代社会は焦燥感からか(自己向上も?)、スピリチュアル系自己啓発セミナー、アルバイトのにわか占い師、ちょっとよくわからないカウンセラーに傾きがちに見えるように思われます。不安の内容や質は違っても、『不安』というメンタルにおいては、昔の飢饉や飢餓、疫病蔓延などで何かに救いを求める社会情勢とほぼ同じと言えるのではないでしょうか。

世の中にはスピリチュアルカンセラーや前世療法セラピスト、ただのアルバイトのにわか占い師、本をちょっぴり読んでデビューした〇〇カウンセラーが溢れ、石を投げればそれらの何かに当たりそうですが、人々は昔と同じように救い(?)を求めて右往左往しています。

スピリチュアルを完全否定はしませんが、ズブズブのスピリチュアル沼に首までハマって自分の人生をスピリチュアルやホニャララパワーに委ねてしまうのは、非常に勿体なく如何かと思うのです。

タイトルにある“溺れる者は藁をも掴む”に見えませんか?私には藁どころかビニールの切れっ端やマヨネーズのキャップにすらしがみつきそうな勢いにしか見えません。

現代は昔と違い科学が発達しています。科学的エビデンスをもってメンタルをケアすることが可能です。それは不安に溺れそうになったら、科学に裏付けされたメンタルケアに頼ることが可能ということです。病気の治療と同じように科学的対処法でメンタルをケアするという、昔にはなかった選択肢が現代にはあるのです。

「自分は人を見る目があるから絶対大丈夫!騙されるわけない!」と余裕でいる人ほど、妙な藁を掴んだり、助けてくれそうに見えて実は泥舟に乗っかってしまうのを散々見てきました。疑うことを知らないピュアな人だったのかもしれませんが・・・。

溺れそうな時に必死に藁を掴んでも、所詮藁なんて共に沈みます。静かに力を抜き、波に身を任せ、自力で浮かんでいるだけのほうが、まだ溺れずに済むかもしれません。科学的なメンタルのケアで静かな力の抜き方、波への身の任せ方、自力での浮かび方を身につけて、心しなやかに、そして軽やかにこの苦難をかわしていきたいですね。

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承認欲求【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2021年最後のコラムになりました。

【1】【2】で承認欲求についてお話ししてきました。最終回となる今回は、少し長くなりますが、承認欲求は必ずしも『悪』ではない、強過ぎる承認欲求が引き起こす弊害、承認欲求が強くなる原因などをお話ししていこうと思います。

組織において自分を積極的にプレゼンしなくてはいけない場面で承認欲求は当然高まります。その高まりはモチベーションとなり“やる気”に繋がっていくこともあるので、ポジティブな承認欲求となります。

しかし、四六時中自分を認めてほしい、となると人間関係構築に支障を来します。

感情が不安定で衝動的な境界例(パーソナリティ障害)アタッチメント不全などが根底にあり、認められていないと不安で承認欲求を満たすことができず、依存的に他者承認欲求を求めてしまうと持続的に安定した人間関係構築は難しくなります。

承認欲求の強い人にはいくつかの傾向があります。「自分は承認欲求、強いのかな」と思う人は振り返ってみましょう。そうでないと思っている人も、確認してみてください。

【羨み妬みやすい】
他者承認欲求は自己承認欲求と違い他者基準になるので、常に他者と比較しながら自分の価値を決めることしかできません。

いろんな意味で自分より上だと思う人に対し、劣等感(負の感情ですから心地良い感情ではありませんよね)を持ち、負の感情を浮き彫りにされる(と感じる)相手を嫌います。負の感情のベースにあるものが“自分の承認欲求のせいで相手を妬み、嫉妬している”と気付けないことがほとんどなので、これが厄介です。無意識に人を嫌いになっていくこともあり、人間関係はますますうまくいかず、ストレスに苛まれます。「私だって〜なのに〇〇ばかりズルい!」←この考えに傾きがちな人は要注意です。

【寂しがりや】
自分で自分を認められないので誰かに自分を認めてもらわないと不安になります。他者に認めてもらうことでしか自分を満たすことができないため、常に他者(認めてくれそうな)を求め、寂しがりやになっていくようです。

【常に周りの評価を気にする】
自己承認できない人は自分の基準がブレブレなので、他者評価を気にし頼りにします。周りが褒めてくれた、周りが羨ましがってくれた、のように、他者基準で自分の幸不幸を判断します。軸足が自分になく、常に他者視点の評価になり、他者はコントロールできないことから些細なことにも一喜一憂し、振り回されストレスを溜めやすくなります。

【自分に自信がない】
他者から認めてもらいたい!という他者承認欲求が強すぎるのは、自分で自分のことを認められないからです。

何があっても自分で自分を認められる人は、他者にその欲求を満たしてもらわなくても自分で自分を満たすことができるので、他者承認欲求が過度に強くなることはありません。

【空虚である】
承認欲求が強い人は自分でありのままの自分を認められないため、他者ありきになってしまいます。

自分自身が認められないものを他者に満たしてもらっても、常に(無意識に)心のどこかで自己否定を繰り返していて、心が満たされることがありません。そのため空虚な気持ちを持ってしまいます。

承認欲求が強くなり過ぎると考えられている原因に、親(養育者)からの愛情不足(アタッチメント不全)や偏った愛情、家庭や学校での教育があります。

【親・養育者からの愛情不足】
子供は幼少期のアタッチメント形成期に愛情を与えられないと、「自分は愛される価値がない」「大切にされる価値もない」と無意識に自分の存在価値を信じられないまま成長します。

愛情不足にはさまざまなパターンがあります。必ずではありませんが、そのいくつかを挙げておきます。

  • 母子家庭(あるいは父子家庭)で親がいつも忙しく甘えられなかった。
  • ギャンブル、アルコールなどに過度にのめり込む親だった。
  • 感情的に不安定や暴力的で怖かった。
  • いつも誰かと(兄弟姉妹・他者)比較され、褒められたことがない。
  • できないことをしょっちゅう叱られてばかりだった。
  • 養育者自身が精神的に未熟、承認欲求が強く子供に愛情を注ぐことができなかった。

自分の価値を自分で信じられないまま大人になった人は、常に他者から認められることを求める承認欲求が強い人になっていきます。

【家庭や学校での教育】
学校教育や家庭での教育方針も子供に影響します。

子供の教育方針には、

  • 子供の個性(違いの尊重)を大切にし、良い部分を伸ばす。
  • 子供の凹部分を埋め、周囲と合わせていこうとする。

大きくこの二種類の考え方に分かれると思います。

子供の凹部分を埋めて〜の教育方針だと、親の常識、社会の常識に当てはめようと凹部分を補おうとします。そのため、世間でいう“一般的”に問題ない子供に育てようとすることが主軸となり、子供に対し指示的(支配的?)になります。

子供の気になる悪い面にばかり目が行き、悪い面を見つけて正そうと型に嵌めようとします。悪い面が正され型に嵌ると子供を認め褒めます。

子供は親に認められたい、褒められたいと思うので、自分のマイナス面ばかり目がいく癖が身についてしまいます。自分のマイナス面にばかり目がいくと、自分には悪い部分ばかりでいいところがないと思い込み、自分に自信が持てずに成長します。

承認欲求が強過ぎると仕事でも人間関係(恋愛含む)でも上手くいかない場面が増え、生きづらさを感じます。承認欲求が強い人は、自分で自分を認め満たすことができず、常に誰かが満たしてくれることを求めます。誰かに何かを与えたりしてあげたいという気持ちよりも、自分を満たしてほしい気持ちのほうが強く、つい自分本位な欲求ばかりが目立ちます。実際には要求しなくても、その気持ちが大きい、も同じです。

前にも書きましたが、他者を変えることはできませんし、他者をコントロールすることもできませんから、相手の些細な言動/行動に不満を溜めやすく、ストレスが増えると同時にぶつかり合いも増えてしまいます。

自分に自信がないので嫉妬しやすく、いつも不安を抱えた不安定な関係になりやすい特徴があります。恋愛も含め、人間関係が長続きしづらく悩むことも多くなります。

仕事で認められたい気持ちが強いと、自分一人で何もかも抱え込み、他者を頼れません。人には誰でもキャパシティがあることはわかると思います。一人で抱え込もうとすることで心身が疲弊しストレスを溜め、心が折れたり潰れやすくなってしまいます。

また、承認欲求が強い人は他者からの評価を気にするので、他者基準でしか自分を評価できず、常に比較しながら自分の幸不幸の評価をします。他者と比較しかできないと妬みや嫉妬が生まれやすく、いつも誰かと比較しながら自分を評価していることでストレスが溜まりやすくなります。

自分が幸せかどうかは自分自身が決めること。

誰かと比較して勝った負けたではないはずです。

勝ち負けにこだわると、本当に大切なものや人、“自分”すら見失います。幸せは勝つとか負けるとかの次元ではないはずなので、「勝負」と考えること自体ナンセンスではないでしょうか。

あなたはあなたのままで価値がある人間です。どんなに上手くいかなくてもヘマをしても、情けなくてもあなたの価値は変わりません。

「もうダメだ、自分なんてダメダメだー!」と思ってしまう時、自分で自分の体に腕を回し、自分を抱きしめてください。

【セルフハグ】

頑張っている自分を「お疲れさま、ワタシ(オレ)」と抱きしめてください。

あなたを、あなた自身が認めてあげてほしいと思います。

年末年始、お仕事の人もお休みの人も、少しでも心穏やかに過ごせますよう願っています。それでは、よいお年を・・・。

本年も本コラムを読んでいただき、ありがとうございました。来年は1月10日月曜日から掲載し、その後は5の倍数日に掲載してまいります。来年もよろしくお願いいたします。

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承認欲求【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2回目となる今回は【一般的承認】【集団的承認】についてからスタートします。

一般的承認は自分で自分を評価する<自己承認>、集団的承認とは他者から評価される<他者承認>になります。

「あの人は承認欲求強いよね」と言われる人が欲しがるのは【集団的承認】です。SNSで「いいね!」がたくさん欲しい人、インスタグラムでせっせとリア充っぷりをアピールしたい人が良い例です。

集団的承認欲求が強い人は自己顕示欲が強く、注目を浴びたい目立ちたがりが多い反面、誰か(他者)に自分を認めて(承認)してもらわなければ不安になりやすい特徴も持ち合わせています。

他者に認めて(承認)もらいたいがために、自分を取り繕ったり我慢し過ぎるのも自分に自信がない表れと言えます。

また、自己愛が強すぎる人も承認欲求が強い傾向にあります。わざわざブランド品に囲まれた部屋や、恋人と高級レストランでの食事、貰った高級なプレゼント、高級車や海外旅行などリア充っぷりをアピールしてみたり、大昔のヤンキー時代(死語?)の犯罪紛い、もしくは思いっきり犯罪の痛々しい武勇伝を恥ずかし気もなく「昔は俺もヤンチャだった」と自慢気に語ってみたりします。

見ている側は滑稽でも「集団的承認により他者承認欲求を満たしてるんだね〜、なるほどなるほど」となま暖かく見守るのが大人な対応かもしれません。

私は「それもういいや、お腹いっぱい!」と大人気ないシオシオな塩対応をしていますが(笑)

自己承認欲求は自分を自分で認めたい(承認したい)欲求で一般的承認欲求です。“誰か(他者)”に自分を認めてほしいと思うのではなく、“自分自身”が自分を認めたい、という欲求です。

自分は自分のままで価値のある存在である、と自認できることは、自己肯定感、自尊感情、自己信頼感に繋がり人が成長する上で欠かせない重要な要素です。

自己承認欲求に対し他者から注目を浴びたい、羨ましがられたい、尊敬されたい、名誉名声がほしい、を他者承認欲求と言います。

他者承認欲求(集団的承認)が強い人は自己承認欲求が低い場合が多く、他者依存の欲求は自己承認欲求よりも低次欲求と言われています。

行き過ぎ膨らんだ他者承認欲求は問題ですが、他者承認欲求も人には必要な欲求であり、自己承認欲求と他者承認欲求が満たされることが自己肯定感へと繋がります。

自己の存在意義や価値を他者から承認されることが間接的に自己肯定にも繋がるので、自己承認欲求と他者承認欲求は切っても切り離せない関係にあるのです。

本年のコラムの掲載は2021年12月25日土曜日までとさせていただきます。来年は2022年1月10日月曜日から掲載し、その後は5の倍数日に掲載してまいります。

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承認欲求【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

誰もが持っている欲求【承認欲求】。

言葉は知っていても「人に認めてもらいたい気持ちのことでしょ」とかなり大雑把な捉え方をしている人が多いのではないでしょうか。

今回から3回に分けて承認欲求について、その種類や承認欲求と自己顕示欲、承認欲求と自己肯定感の関係、承認欲求が強くなってしまう原因、承認欲求が強い人の特徴などをお話ししたいと思います。

承認欲求には【自己承認欲求】【他者承認欲求】があります。

そして承認欲求の“承認”には【集団的承認】と【一般的承認】がありますが、まずは人は誰でも5つの欲求を持っていることからお話しします。

これはアメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した自己実現論から【マズローの欲求断層説】と呼ばれ、それぞれ【生理的欲求】【安全欲求】【社会的欲求】【承認欲求】【自己実現欲求】になり、その中で承認欲求は4番目とされています。

生理的欲求から始まった欲求は、満たされると次の欲求に向かい、最終的に自己実現に向かいます。欲求が段階的にステップアップしていくので、自己実現に至る過程で生まれるのが承認欲求なのです。

それぞれの欲求について解説します。

【生理的欲求】
人が生命を維持していくための根源にある欲求が生理的欲求。
代表的なものが『食』『睡眠』『性』で、『食』の欲求は強く、飢餓状態にあると他の欲求を感じません。

【安全欲求】
生理的欲求が満たされると危険を回避しようとする欲求が生まれます。
危険に対する不安や恐怖から予測不可能なことは避けようとします。

【社会的欲求】
生理的欲求と安全欲求が満たされると、より高次的な欲求が生まれます。
社会的欲求は愛と所属とも呼ばれます。人は共同体の一人として所属し、コミュニティに好意的に迎え入れられたいという欲求を持っています。

【承認欲求】
社会的欲求が満たされると次が承認欲求です。
自己の自己への評価を満たそうとする欲求が“自己承認欲求”です。自己承認欲求(自尊心とも置き換えられます)を満たすために『自信』『自由』『自立』などを求め、他者からの他者承認欲求を満たしたいために、“受容されること”、“名声”、“理解”を求めます。自己承認欲求と他者承認欲求が満たされていると自分を肯定でき自信に繋がります。

【自己実現欲求】
前記の欲求が満たされることで自己実現への欲求が生まれます。
自己の力でなりたいものになろうとする欲求と言えばわかりやすいと思います。

次回は【一般的欲求】【集団的欲求】からスタートします。

本年のコラムの掲載は2021年12月25日土曜日までとさせていただきます。来年は2022年1月10日月曜日から掲載し、その後は5の倍数日に掲載してまいります。

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「フツー」という言葉が多様性を阻害する?多様性とは方言!?

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

タイトルにもある「フツー」は漢字で書くと「普通」です。辞書には、特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それが当たり前であること、また、そのさま。とありました。

私たちが日常無邪気に口にしている「フツー」は、辞書で言うところの「それが当たり前であること、また、そのさま」という意味合いで使っていることが多いのだろうと思います。

「フツーさぁ、こうしない?」「フツーこう思うでしょ」「フツーはやらないな」「フツーこうするもんでしょ」「フツーはこうだよね」「フツーこう考えるよね」などなど、誰もが一度は口にしたことがあるフレーズではないでしょうか。

ごく親しい間柄で口にすることはよくあることで特に問題ないと思いますが、職場で口にすると、ちょっと問題になりそうというお話です。もし、職場で上司や先輩が上記のような発言をしたら、部下や後輩はどう思うでしょうか?

部下や後輩がもし上司や先輩とは違う考えを持っているとしたら、彼らは「えっ!?オレ、フツーじゃないんだ」「えっ!?わたしっておかしいの?」と心の中で呟くかもしれません。それはつまり、まともに意見交換することなく、彼らは何も言えなくなることを意味します。

一旦相手の言うことに耳を傾けた上で自分の考えを伝えるというワンクッションを経た上であれば、相手は納得することもあるかもしれませんが、いきなり「フツー〇〇でしょ」と言われると黙ってしまう・・・それは面倒なヤツと思われたくない、機嫌を損ねたくない、あぁこの人に言っても無駄だ、などの心理が強く働くからだと思います。

そういう企業風土は、いつの間にか企業全体の風通しの悪さに繋がると考えられます。案外、この「フツー」という言葉が従業員の多様性を阻害する一因となっているのではないか、と思うのです。小さなことかもしれませんが組織全体で蔓延しているとなると、誰に何を言っても無駄、という一種の諦めを生み、組織全体の活性化とは真逆の力が働きやすくなると思うのです。

あるアイデアや意見、あるいはその組織の慣習とは違う行動を取った時、「アイツはフツーじゃない」「ヘンなヤツだ」と思われることが怖かったり、人事考査を恐れたり、あるいは報復人事が怖くて言わなくなる、行動しなくなる、これは意図せずとも多様性を暗に認めない裏返しとも言えます。そして知らず知らずのうちに組織が硬直化していくことになります。

そう考えた時、私たちが無邪気に口にしている「フツー」という言葉は、案外多様性を認める伸びしろをを阻害している最大の要因かもしれないと思いました。最も身近で最もポピュラーな「フツー」という言葉だけにです。安易に「フツーこうするよね(考えるよね)」などと言う時、それは同時に「そうしないのは(そう考えないのは)フツーじゃないよ」と言っていることと同じです。

直接「フツーじゃないよ」と言ってしまうと、相手に疎外感を与え、ある意味差別的です。でも安易な「フツーこうだよね(考えるよね)」も実は相手にしてみれば“あなたのフツーを相手に強要し、無理やり同感させている”ことになり、相手に違和感や疎外感を与え、失望させているかもしれず、無邪気(無意識に)な小さな差別と考えた時、この「フツー」という言葉の底知れない怖さを感じるのです。

同じような価値観を持つ間柄では良しとされても、組織など必ずしも同じような価値観ではない人たちが集まっているオフィシャルな場所で口にすると、深刻な事象(自由にモノが言えない空気、風通しの悪さ)を生みかねないと思うのです。これは発覚するような性質の事象ではないのでわかりずらく、はっきり目に見える事象でもないだけに深刻度は重大です。何となく風通しが悪いという『何となく』なものなので、“自分だけがそう感じているのかもしれない”と思うとやはり迂闊に人には相談できない、ただモヤモヤしたり悶々とするしかないのがオチではないでしょうか。主観的な感覚で客観的な証拠のようなものがないから厄介です。

例えば今日、明日、先輩や上司の「フツー〇〇だろ」と何回聞いたかカウントし、その時自分はどう思ったかを意識してみると面白いかもしれません。そして『自分はそのフツーには同感だ(同感しない)けど、同感しない(同感する)人もいるかもしれない』とちょっと想像してみるのもいいかもしれません。

時々「フツーって何だろう?」という言葉を耳にします。人それぞれ思考や性格、価値観が違うので厳密にはフツーはあり得ないのですが、私個人が考えるに『フツー』とは、共通語みたいなもので、どこの出身者であっても理解できる言葉が共通語だとすれば、誰であっても考えることやおこなうことは大体同じであろうことが『フツー』と見なされ、逆にその土地の出身者でないと理解できない言葉が方言だとすれば、その人の考えることやおこなうことは独特であるがゆえに『フツーではない』と見なされてしまうのかなと考えてみました。

多様性とはこの方言の部分を、共通語に翻訳しないで方言のままでいいよ、ということなのかもしれません。話している相手に方言で言われると「それどういう意味?」となります。意味を聞いて「へぇ、そういう意味なんだね、面白いね」となりますよね。多様性とはまさにその感覚だと思うのです。「へぇ、そういう考え(見方)もあるんだね、面白いね」というコミュニケーションスタイルが個人間を超え、広く社会に浸透して初めて多様性のある社会と言えるのかなと思うのです。特に東京は地方出身者のるつぼ。あなた自身の出身地の方言を大切にするように、相手の考えや価値観を大切にする姿勢を意識すれば、無邪気に「フツーさぁ・・・」という言葉は出なくなるかもしれませんね。

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他者の気遣いや無意識の厚意に感謝するという小さな当たり前の姿勢

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

感謝は強制されるものではなく内側から出る自発的な感情ですから、誰に対してもどんな時にも周りに平身低頭感謝しまくりましょう・・・なんてことはこれっぽっちも思いません。

ですが、他者の“厚意”からくる行動を当たり前に思い、感謝しないどころか自分が想像(勝手に期待?)していたとおりに他者が行動を起こさないと不満に感じ、文句を垂れたり酷いとぶちギレる人が増えたように思います。余裕の無さやイライラしやすいのはコロナのせいもあるのかもしれませんが、他者に攻撃的な気持ちを持ちやすいのはまたちょっと違う気がします。

例えば、余程いじわるな人でなければ、自分が先に乗り込んだエレベーターに後から人が乗ろうといているのにわざわざ【閉】ボタンを連打して扉に挟もうとはしないと思います(笑)でも『あ、乗ろうとしているんだな』と【開】ボタンを押すのは頼まれたわけでもなくても、挟まれないようにという“気遣い”“厚意”からくる行動です。

「乗ろうとしているんだから【開】ボタンを押しておくのは当たり前でしょ!」と考えたアナタは、それは「〜すべき」思考が混じるちょっと偏った考え方です。確かに扉を開けておくのはマナーかもしれませんが、やってもらって当たり前、やるべきこと、という決まり事ではありませんよね。

私でも自分が先に乗り込んだ時に階数ボタンの前に立っていれば当然【開】ボタンを押して待っていますし、奥に階数ボタンがないエレベーターでは「何階ですか?」と尋ねることもあります。毎回ではありませんが。

自分が逆の立場なら「3階お願いします/押してもらえますか?」とお願いします。恐らく多くの人はそうしているだろうと思います。

ここで偏った自分本位な考えを持つ人は、自分から「○階お願いします」と意思表示をしなくても「フツー何階に行くか聞くもんでしょ、階数ボタンに近いんだし」と考えます。そのような考えを持つ心理の共通として、〇〇すべき、という行き過ぎた白黒思考だったり、他者の価値観や思考を認めない自他境界の曖昧な人に多く見られるようです。あなたとまったく同じ考えや感情を持つ人は“いない”と考えましょう。

たまたま同じエレベーターに乗り合わせただけの真っ赤な他者で、明らかなエレベーター係(今時いる方が少ない)でもない一般人に、階数ボタンの前にいるというだけで、何故そこまで他者を気遣うことを“当たり前に求めるのか”です。飽くまでも任意の行為を無意識に義務の行為と勘違いしているか、日頃から他者を見下している愚か者です。

「ありがとうございます。」「助かります。」

毎回いちいち口にしなくていい場面でも、この気持ちは大切にしたいものです。

常々『ありがとう』『ごめんなさい』は人間関係をまろやかにする魔法の言葉だと思っていますが、『ありがとう』と言われて嫌な気持ちになる人はまずいません。

「(私のために)ありがとう」と伝えること、ありがとうと口に出さないまでも、ありがとうの気持ちを持つこと。相手との距離が近くなればなるほど忘れがちなことですが、何より大切なことではないでしょうか。

思っているだけでは伝わりません。どんなことも「言わなくてもわかる(わかってる)だろう」という考えは改めて、ニッコリ「ありがとう!」。

立場に関係なく気持ちいい人間関係のコツかもしれませんね。

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組織のメンタルヘルスについて考える【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

脳とメンタルヘルス(ストレス)は密接な関係があり、うつ状態は神経伝達物質であるノルアドレナリンとセロトニンの働きが低下することにより起こると言われています。

セロトニンが十分分泌されていると気分が安定し安らぎを感じることができます。気分が安定し安らいだ状態だと、体も心も元気でいられる、ということです。セロトニンが不足すると、イライラしやすく不安も感じやすくなります。

組織全体でセロトニン対策を講じるとすれば、マインドフルネスが効果的です。マインドフルネスはストレス対策として導入する企業も増えてきました。

当ラボでもマインドフルネス、アンガーマネジメント研修は人気で、その企業に一番合った形で研修会や講習会、パーソナルトレーニングをおこなっています。

企業を挙げて全従業員が一緒に取り組むことが一番でも現実的ではないので、まずは『マインドフルネスとは何ぞや?』を知ってもらい、部署ごとにどのように導入すれば効果的かを一緒に考えていきます。

研修をやれば大丈夫、話を聞いたからできるようになる、というものでもないため、その組織にマッチした方法で計画を立て、研修内容を考え、フィードバック(アフターフォロー)がなければ最大限の効果は望めません。

企業、組織においてこのような取り組みをおこなう意義は、従業員に如何にモチベーションを保持し生産性を高め業務を遂行してもらうか、に他なりません。これは結果的に利益を出せる企業、組織の可能性を高めることになり、従業員も活き活きと活躍できる環境ということで、双方にとって好循環なことだと言えます。

たまに、メンタルヘルスに取り組めば売り上げが伸びるのか?と質問を受けることがありますが、例えば社員食堂を設置している企業は、売り上げを伸ばすために設置しているでしょうか。決してそうではないはずです。『従業員の健康』がまずあって設置していると思います。そして従業員がいつまでも健康で会社に貢献することで、それが結果的に売り上げ増に繋がれば、ということではないでしょうか。企業によっては従業員への利益還元策の一環かもしれませんね。メンタルヘルスへの取り組みも社員食堂を設置することと似ています。福利厚生とはそういうものではないかと思うのです。

個人においては、メンタルクリニックなどで処方される薬に頼らなくても、日常生活の中に取り入れると簡単にセロトニンを増やせる行動があるので、是非やってみてください。

ゆっくり散歩、ではなく、少し早歩き(ジョギングとウォーキングの間くらい)で30分程度歩く。

自分の呼吸や歩くリズムといった“今”に意識を向け、集中するとより効果的です。呼吸に集中するのは鬼滅の刃ではなくとも、大切で意味があることなのです。

セロトニンを増やすサプリメントなどもありますが、できれば食事で摂取したいものです。セロトニン合成に必要なトリプトファンは、豆腐や納豆といった大豆製品や乳製品に多く含まれます。ここは社員食堂の出番かもしれませんね(笑)

質の良い睡眠、自分に合ったストレスコーピング、適度な運動、日々の食生活。メンタルを守るためにできることもたくさんありますから、取り組みやすいところから意識を変えていくといいと思います。

繰り返しになりますが、日常の小さなイライラモヤモヤを放置するとメンタル不調を引き起こします。

あなたがイライラ、モヤモヤするのはどんな場面ですか?

一度じっくり考えてみてはいかがでしょうか。

私は思春期真っ只中の可愛げのない息子の言動/態度に日々イライラしています(笑)手強い発達障害の息子と生活していると、残念ながら胃が痛くなったり円形ハゲができることもありますが、私がメンタル不調にまでならないのは、アンガーマネジメントにじっくり取り組んできていること、何かあればすぐに書き出し、視覚化してストレスコーピングすることが習慣化しているからです。

ストレスはなくならないものです。仲良くはなれないかもしれませんが、少しでもストレスとラクに付き合いたいものですね。

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組織のメンタルヘルスについて考える【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回から引き続き組織のメンタルヘルスについてで、【2】では個人が直面するストレスについてからスタートします。

ストレスと聞くと“絶対悪!”と考えられがちですが、実は「喜ばしいことなのにストレス?」と思われることも大きなストレスになります。

具体的には、

  • 昇進/昇格/栄転
  • 結婚
  • 出産
  • 就職/転職
  • 起業/独立

などです。

ネガティブな方向に出やすいものだと、

  • 仕事の失敗
  • 就職/転職/転勤
  • 失業
  • 離婚
  • 家族の問題(健康・教育・介護など)
  • 災害
  • 事故/事件(巻き込まれるのはもちろん目撃するなども)

などです。

なぜ一般的に喜ばしいと言われることもストレスになるのでしょうか?

ライフステージの変化やライフイベントには新たな課題や環境の変化を伴うことが多く、それらに慣れるまでには時間がかかったり多少の労力が必要になるため、大なり小なりストレスがかかるものだからです。

人生一番の幸せなライフイベントと言われる結婚を例に考えてみます。多くは今までライフスタイルも違い、一定期間交際していても別々の生活を送っていた二人が結婚を機に共同生活を送ることになります(別居婚はまだ一般的ではないので除外します)。結婚(同居)とは、今まで離れていたことで見えづらかった生活スタイルの細々とした違いや、さまざまな価値観の相違が露わになるスタートと言えます。子供が生まれれば教育の考え方の違いを嫌でも味わうことになると思います。また姑、舅との新たな人間関係も発生します。

自分一人で誰に文句を言われるでもなく、何もかも自己決定し誰とも擦り合わせる必要がなかった生活上の些細なことも、パートナー(他者)との生活で見過ごせなくなると擦り合わせが必要になります。時に譲り面倒なことも感情的にならず、建設的に意見を交わし合い着地点を模索する・・・

案外ストレスと隣り合わせだと思いませんか?

個人のストレス耐性が低く、ソーシャルサポーター(公的機関や専門家に限らず信頼できる友人や親族なども含む)が整っていなければ、あっという間にメンタル不調を引き起こします。

<ストレス耐性+ソーシャルサポーター>を“袋”と例えると、袋が柔らかく大きければライフステージの変化やライフイベントによるストレスを袋に収めることができ、メンタル不調は起きにくくなりますが、この袋が固く小さいとストレスが溢れてしまい、メンタル不調を起こしやすくなります。

個人ができることはさまざまな経験を重ね、ストレス耐性を強くしていくことですが、組織としても従業員個々のソーシャルサポーターであることをまず認識し、ライフステージの変化や大きなライフイベントが重なった従業員に対し、サポート体制を整えておくことが重要になります。

誕生日休暇、アニバーサリー休暇などを導入している組織は従業員のソーシャルサポーターであることを認識しているかはわかりませんが、【休暇】以外のサポート体制も整えておくことも、これからの人事労務には重要だと考えます。

最終回では、脳とメンタル不調についてお話ししようと思います。

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組織のメンタルヘルスについて考える【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回から3回にわたり、組織のメンタルヘルスについてお話しします。

なぜ組織でのメンタルヘルス対策は必要なのでしょうか?

  • リスクマネジメント
  • 生産性
  • コンプライアンス

この3点になります。

鬱で離職者や自殺者などメンタル不調者が出ると、労災請求や民事訴訟に発展する可能性があります。これらは実際にコストが発生します。そして何より長年培ってきた企業あるいはブランドのイメージダウンに繋がり、本来の業務ではない部分での労力が必要になってきます。社会的信用の失墜も免れません。

メンタル不調者が出ることで個人はもちろん、その部署、あるいは企業全体の生産性が下がります。休職者や離職者が増えることで業務は滞り、そのしわ寄せは残っている従業員が負うことになります。当然不満が溜まると職場のムードは悪くなり、人間関係もギスギスしたものになりますし、オーバーワークや人間関係の悪化から次のメンタル不調者が出る可能性が高まり、さらに休職者や離職者を生むという悪循環に陥ります。これでは生産性が下がらないわけがありません。

ストレスがメンタルの不調を引き起こす一番大きな要因となりますが、残念ながらストレスがまったくない人はいません。生きている限り、大なり小なり付きまとうものと言って異を唱える人はいないと思います。

同じ出来事があってもストレス耐性には個人差があり、ソーシャルサポートのあるなしでもストレス反応の強さは変化します。また、その日その時の気分によってもストレス反応は変化する実にデリケートな変数がストレスです。

※参考コラム:アンガーマネジメント【1】

私たちは私生活や職場など外的影響によりストレス反応を起こします。緊張状態や嫌なことで動悸がしたり、胃が痛くなったり冷や汗をかいたことはありませんか?人によっては下痢もあるかもしれません。これがストレス反応です。

うつ病と一括りにされますが、ここで典型的なうつ病と近年目立つようになってきた新型うつ病について少し説明しようと思います。

典型的なうつ病は責任感が強く目標達成に努力を惜しまない真面目なタイプがなりやすいのですが、新型うつ病の場合、困難から逃避する性格の人がなりやすいと言われています。

より具体的には“元々あまり仕事熱心ではない”、“自立心や責任感に乏しい”、“役割から逃避しやすい”タイプで、自己愛が強く社会性が未熟、他責(他罰)傾向が強く過度な自己尊重、自己評価が高すぎる人に多く見られます。

また、一般的に典型的なうつ病の人は周りから勧められやっと受診、休養するのに対し、新型うつ病の人は積極的に医療機関を探して受診します。仕事を休むことに躊躇いがなく、すぐに診断書を提出します。典型的なうつ病が自責に向かうのに対し、新型うつ病は他責的です。平日は倦怠感など身体症状に見舞われますが、休みになると元気に遊びに行く、これが特徴かもしれません。

組織にメンタルヘルスに戻ります。組織のメンタルヘルスにおいてのストレスとは、

プレッシャーや対応困難な事案にぶつかった時に生まれる感情的な反応

と位置付けます。

よく「上司(あるいは先輩・同僚)がストレスの元凶だ」というのを聞きます。上司、先輩、同僚の言動にムカつき、「許せない!」とイキり立った時にほとんどの人は「ストレスだ」と感じると思います。しかし実はこれは自身の「許せない!」という怒りの感情により自分が振り回されていること、そしてそれこそが【ストレス】の正体なのです。

小さなイライラ、モヤモヤ一つひとつでは大したストレスではないかもしれませんが、積み重なっていくとストレス反応が増え、メンタル不調に繋がっていきます。自分の中にある小さなイライラ、モヤモヤを書き出し視覚化し、一度整理してみるとよいと思います。

【2】では、個人のメンタル不調がどのように組織へ影響するのか?からスタートします。

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セルフコンパッションという概念

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

セルフコンパッションという言葉をご存知ですか?

元々は仏教の概念なのですが、セルフコンパッションとは

自分を思いやり慈しむ気持ち

のことで、自分の至らなさや短所、失敗すべてをひっくるめて自分自身を受け入れる、ということです。ここで間違ってはいけないのが、“自分を甘やかす”ことではない、ということです。

自己肯定感とも通ずるものがありますね。

自分に対しては『出来たこと/上手くいったこと』よりも『出来なかった/上手くいかなかった/失敗した』ことに意識が向きやすいものです。

「あの時ああ言っとけば」「あんなこと言わなければ」「先に〇〇しておけば」などと毎夜ウダウダ一人反省会をしている人は案外いるのではないでしょうか。管理職の人は思い当たる人が多いかもしれません。もちろん、失敗したことを振り返り、反省することは次に活かすための大切なステップです。

では、どのようにセルフコンパッションに取り組めばいいのでしょうか。取り組むとは書きましたが難しいことではありません。

失敗をした自分に対し、自分を親友や大切なパートナーと置き換えて声をかけてあげてください。

あなたが仕事で失敗をし、取引先に迷惑をかけ上司にこっぴどく叱られたとしましょう。

きっと「わかっちゃいたんだよな、失敗するかもって。あー、自分はやっぱり詰めが甘くてダメだ・・・もうあの取引先は絶対に自分を許してくれないだろうし、上司の信頼も失くしたかも」と落ち込み自信を無くします。

失敗した自分をそっくり親友や大切なパートナーに置き換えた時、思わず弱音を吐いた彼らにあなたは何と声をかけますか?

間違っても自分の時のように、「何やっても大体詰めが甘いよな、もうその取引先はダメだ。上司も君を信用しないだろう」なんてトドメを刺すようなことを言いますか?(笑)もし言ってしまう人がいたら、それはかなりの意地悪か、思いやる気持ちが足りない共感力ゼロの残念な人だと思います。

頑張ったことに対し労わりの言葉をかけ、絶対に次があるから今は落ち込んでも気持ちを切り替えて頑張ってほしい、チャンスはまだあるよ・・・というような言葉をかけませんか?

そう、大切な人が傷ついたり失敗してネガティブになり落ち込んでいる、そう考えて自分に労わりの言葉をかけてあげること。とてもわかりやすくすぐに実践できる簡単なセルフコンパッションです。

セルフコンパッションワークに取り掛かる前には4つのステップがあります。

●自分が何に対し傷ついたり辛くなっているのか、ありのままを気づくこと。

●その時にいろんな言葉が浮かぶと思います。
自分の言葉<ムカつく/孤独だ/悲しい/イライラする/心配/不安など>をそのまま受け入れます。「自分は不安に押し潰されそうでイライラしてるんだな」などと、今自分がどう思っているのか、感じているのかを認識します。

●“人であれば誰もが持つ共通性”に意識を向けます。
仕事の失敗、他者からの傷つくような言動。
どうしても「誰もわかってくれない」「自分だけが苦しい」と考えてしまいがちですが、仕事の失敗は誰にでもある、自分は苦しいけど同じように傷ついて辛い人もいるよな、です。ここで「自分のほうが辛い」という上下優劣をつけるのはいけません。向ける意識は「自分以外にも苦しい人はいるよな」です。

●最後に自分に対し前記したように(親友や大切なパートナーに声をかけるように)優しく声をかけていきながら、「今回失敗してしまったけど、丁寧な仕事ぶりを評価されてきたよな」と自分のプラス面を思い浮かべてください。

もう一人の自分があなたを労わり慈しみ見守ってくれていることで、ネガティブな自分のことも受け入れながら受けた傷や苦しさを癒していきます。

セルフコンパッションは瞑想がないだけで内容がマインドフルネスによく似ていますし、ステップも似ています。マインドフルネスもセルフコンパッションも【今ここ】に気づき意識を向けることの大切さを教えてくれるものだからです。

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