引っ込み思案ってダメなこと?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

世の中には、誰に対しても物怖じせず積極的にガンガンいける人と、人見知りで引っ込み思案の人がいます。

私自身は人見知りせず、初対面の人とも関わりを持つことに苦痛を感じないタイプですが、パートナーは見た目とは反して、とても人見知りだそうです。人見知りだと他者に対しての自己開示に時間がかかるので、結果、引っ込み思案にも見えます。

人見知りで引っ込み思案、それを『損なこと』『改善したい』と思っている人は多いと思います。当たり前ですが、普段あなたはあなたの視点からしかあなたを見ていません。

人見知りや引っ込み思案は、慎重で、時間をかけて物事を見よう、考えようとしているという“良い”側面が隠れていることに気付いていますか?

物体の四方観察で考えてみましょう。

例えば牛乳パック。 横から見ると長方形や上に三角形がある五角形、上から見ると正方形に見えます。見る場所によって見える形が変わるわけです。トイレットペーパーも同じで、横からは四角に見えますが、上から見ると円ですね。

物体を例えに出しましたが、物事は見方によりさまざまな見え方があるということで、これは先ほどの“人見知り、引っ込み思案”にも同じことが言えます。

あなたには自分の欠点や短所に見えていることでも、案外他者はそう見えていないかもしれない、ということです。あなたはあなた自身を牛乳パックの横から見ていて、他者は上から見ているかもしれないわけです。

人前で緊張するのは誰にでもあることですし、慣れていないだけということもあります。これは“上手くやっている自分”をイメージし、それが“自分は上手くやった”とイメージできるようになるまで繰り返します。

とても慎重な性格をしている良い面があるのですから、少しだけ自分への見方を広げてみませんか?

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認知スタイルから見えてくるもの<2>

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回は自罰的な人についてお話をしましたが、今回は他罰的な人についてお話しようと思います。

自罰的な人は「自分は本当にどうしようもない」「上手くいかないのは自分が悪いからなんだ」と責任の刃が自分に向かい、自分を責めてしまい、自己肯定感が低いので立ち直りに時間がかかりますが、他罰的な人は、思いどおりの結果にならなかった時や失敗、不安や不愉快な気持ちになった時、環境や他者のせいにし、“他者を責める人”で、刃は他者に向かいます。また、他責なので、同じ過ちを繰り返すことが多くなります。

この【他罰的】な認知、周囲に「自分勝手」「偉そう」と嫌われやすい面と、その認知が行き過ぎた時には思いもよらない危険な行動に繋がりやすいのでかなり厄介です。

「俺の前に割り込んだ“あのクルマ”が悪い」は煽り運転に繋がりますし、「偉そうに文句言った“あいつ”が悪い」と他者に暴力を振るう、もっと身近なところだと「遅刻したのは“お母さん”が起こしてくれなかったから」だったり、「話してもわからないのは“あいつ”がバカだからだ」がわかりやすいと思います。

他罰的な人は、“上手くいったら自分の手柄(おかげ)、上手くいかなかったら誰かのせい(環境のせい)”という人が多いのも特徴で、この認知のせいで嫌われ孤立しがちです。

それはそうですよね。何か起こると環境のせい、上手くいかないと、不快な出来事があって納得いかないと他者のせいにするのですから。

ここまでで何か気付くことはありませんか?

そう、自罰的な人は“引き受けなくてもいい責任まで引き受け、自分のせいではないかと苦しみ自信をなくし”、周りからは面倒な人と映り、他罰的な人は、自らに責任があっても他者(あるいは環境)のせいにし、何も責任を引き受けず、内省もしないから同じ過ちを繰り返す、です。

どちらも人間関係においては躓きやすく、関係は拗れやすくなります。これも認知からくるものです。

無罰的な人は何事が起こっても、「自分のせいでは?」とも「あいつのせいだ」とも思わず、何とか気を紛らわし、やり過ごそうとするタイプです。

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認知スタイルから見えてくるもの<1>

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

不安、不快な出来事や失敗からの躓きでの後悔、トラブルが起こった時の受け止め方の認知に【自罰的】【他罰的】【無罰的】という認知スタイルがあります。

【自罰的】な思考が強いと、ネガティブに引っ張られやすく自分ばかりを責めてしまう癖(認知の歪み)が生まれてしまいます。

今回は自罰的(自罰傾向強)にフォーカスしてお話してみようと思います。

まず、

自罰的な人は褒められることが苦手

です。それは【自分の中にある自分像と、相手が自分に持っているであろう自分像に温度差がある】と感じていることが原因です。

日本は謙遜を美徳とする妙な文化があるので、褒められても素直に「ありがとう」とは言いづらいものですが、「いやいや自分なんてまだまだ・・・云々、全然ダメです」までいってしまうと、自己評価も自己肯定感も低くなります。

褒められる(認められる)のが苦手な人には、本来ある他者評価よりも低くしか自分を思い描くことができません。自らを低くしか評価していないものを、他者に認められたり、褒められてもあまり嬉しくなかったり、どう反応していいのかわからなくなってしまうからです。

自己承認するのが下手で、自らを責めて(罰して)いないと辛くなってしまうのが、自罰的な人なのです。

自分を責める気持ちが強い人は、無意識に“自分に対し罰を与えてしまう”心の構図が出来上がっているので、自分が自己否定していることが、必ずしも“悪い”と決めつけてしまうものではない、と受け止める練習が必要です。

なぜ「私っていつもいつも・・・ダメな人間だ」と思うのか、それは無意識のうちに、上手くやれない自分を自ら罰することで一瞬ですが“安心すること”ができるからです。

自分の中に【自分は何やってもダメなんだ、と思う自分】と【ダメなんだから厳しく罰せねば】という2種類の自分が存在することにより、強い自責の念に囚われます。その後、厳しく罰せねばの自分が片方の自分に対し“もう十分ダメな自分は苦しんだから”と責めることを止め、この時に上記の“安心する”気持ちになるのです。これは

歪んでいて辛い認知です。

先ほども書きましたが、自罰的な人は自己承認が上手くできません。「気をつけてるのにまたやってしまった」→「ダメだダメだ、私なんて本当にダメ」これを

「ダメな自分も自分の一部だもんな」と自己承認できるようになると、自罰的な自分から脱出できる足掛かりとなり、次に「私も全部が全部ダメじゃないんだから」と変容させていけるようになると生き方もずいぶんラクになります。

自罰的な背景にはさまざまなものがあり、愛着障害(アタッチメント不全)があるとなかなか厄介です。本人は何も悪くないのに自罰的になってしまうほど、辛く苦しいものはありません。

次回は他罰的、無罰的とは?についてお話します。

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ADHDの課題【時間管理】について<5>:心理的抵抗に対処する。

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

本連載最後となる5回目は、ADHDの人の【心理的に集中を妨げるもの】や【集中力のコントロール】についてお話を進めます。

ADHDを持つ人は、引っ張られやすい不安感情や抑うつに加え、何かしら他者に対してイライラと不満を持ちやすい(面倒、難しい要求ややりたいことへの制限など)ことを自覚し、“怒っている自分、これまでずっと変えたいと思いつつ、自分には絶対無理だと感じる自分”、【変容に反抗している自分】に気付き、自分の認知(思考)を同定し反論してみる練習をしてみましょう。

今までの連載<1>〜<4>でお話したことの振り返りになりますが、おさらいしてみます。

  • 達成できる小さな、簡単なことからスタート。
  • 難しく面倒なことは、達成できるであろう大きさに分解(分割)。
  • スケジュールを組む時には対処しやすい“まとまり”に分解し、まとまりを終了できた時には“強化”(自分へのご褒美を計画)。
  • 完了と同時にTO DOリストの項目に完了印をつける(視覚的に“できた”を感じるモチベーションが維持しやすくなります)。
  • 強化(ご褒美)は随伴的であり、やらなくてはいけないことを完了していなければ、自分にご褒美を与えてはいけません。←「後でやるから先にご褒美」はダメ!

自分にとって集中を妨げるものには何があるのか考えてみます。

ADHDの人は、刺激に敏感に反応し集中が分散してしまうので、そうならないために、目や耳に余計な情報が入らないよう先に対策を取っておくのは有効です。

●携帯電話は遠くに置くか、留守電にしてサイレントモードに設定。
●本や雑誌は目につかない場所に。
●テレビ、パソコンなどは消す。
●家族にも上記を宣言し協力してもらう。

外部からの音を柔らかく遮断するイヤーマフデジタル耳栓、集中しやすいリラックス状態を保つために、ホワイトノイズ発生装置(レクトロファンマイクロ)も役立つと思います。もちろん音量は耳障りにならない音量で、ですが。

ADHDの人は、目の前の自分にとって楽しい報酬を、遠い先のより自分にとっては大きな報酬より選ぶ誘惑に駆り立てられがちです。ここで自分との闘いになると思います。実際に、闘っては毎回負けている息子を毎日見ています(笑)。この重要な岐路に、目先の楽しさを取ることと、課題をやった後の報酬、達成感、自信、他者からの評価といった現実的な報酬を書き出してみましょう。

△明日提出のやらなくてはいけない課題があるのに、見たいテレビがあり、我慢できずに見る。→取り組むのが億劫になり、お風呂から上がったら・・・ご飯食べたら・・・と先送り癖が出現。→「うーん、明日、早起きしてやればいっか」→早起きできない、もしくは早起きしてもいつもの「まだ時間があるから大丈夫」癖が出て、結局巻きに巻いて雑な仕上がりか、まったく手をつけていないことになる。→当然叱られる、呆れられる、信用を無くす・・・結果評価が下がる。→自己嫌悪から自己評価も下がり、「ダメな自分」から自己肯定感も下がる。

こうならないために

○見たいテレビは録画にして、明日提出の課題に取り組む。→終わった後に「完了させた!」という満足感と達成感。→ご褒美の動画を観る(気持ちを引っ張るものがないので動画を楽しむことに集中できる)。→次の日に胸を張って提出(できなかった(やらなかった?)言い訳をしなくていいので気が重くない)。→完了させたことへのそれなりの評価。→やり遂げた自分への自己評価アップ。

これを自分に当てはめて視覚化してみてください。

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ADHDの課題【時間管理】について<4>:認知面の気付きと対策を考える。

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

4回目、次回5回目は、ADHDの時間管理/認知面の気付きと対策について考えていきます。

認知(思考)の歪みには、不安や抑うつを生む自動思考と呼ばれるものも多く含まれますが、あまりにも普段の思考に密接であることから、なかなか気付きにくいものです。

自動思考とは、起こった出来事に対する咄嗟の評価

で、その評価が正しいこともあれば、そうでもない時もあります。

ASDやADHDを持つ人は、“失敗”から自動思考が知らないうちに徐々に歪んでいくので、不安や抑うつに引き込まれやすい傾向にあります。

自分の【自動思考の中にある認知の歪み】に気付くことが第一歩になります。

克服するための第二歩が、

【歪んだ自動思考に気付き、その思考に自ら反論し、それに代わる合理的反応を自身で持てるようになる】ことです。

起こった出来事に対する【認知】が【感情】を生み出すのですが、この“認知(思考)”は、出来事が起こった瞬時に自動的に生み出されるものなので(だから自動思考)、その結果生まれる感情にばかり目を向けがちで、【認知】そのものはほったらかし、意識しないことがほとんどです。

認知の歪みを引き起こす自動思考にはさまざまな出どころがあるのですが、本題から外れるので認知について掘り下げてお話する機会に取っておきます。

自動思考、認知の歪みに気付くためには、感情そのものではなく、感情が生まれた出来事に対し、自分が“どのように受け取ったか”に意識を向ける練習が必要になります。

“不快”“辛い”“不安”“怒り”という感情の変化が起こった時にメモを取り、その感情にラベル付けしてみます。←毎回やるのは大変ですから、やれる環境にある時に意識的にやってみましょう。

前提)明日の大切なプレゼン用資料作りを任され、それを今夜中に仕上げなくてはいけないので徹夜になりそうです。資料作りに取り掛かろうとした時に憂鬱な気持ちに襲われるかもしれませんし、想像しただけで強い感情に襲われるかもしれません。

自動思考は何らかの感情と直接関係しています。今回、具体的にどのような自動思考が表れやすいのか見ていきましょう。

●それが【不安】からの場合
「どうしよう、もし失敗したらどうすればいいんだ・・・」「もうプロジェクトから外されるかもしれない」

●それが【抑うつ】からの場合
「あーダメだダメだ、こんなんじゃダメに決まってる!」「自分はなぜこんなことも満足にできないんだ」

●それが【怒り】からの場合
「自分一人にこんな膨大な資料を作らせるなんて上司は酷すぎる!」「要求レベルが高すぎる!きっと私に失敗させようとしてるんだ」

このように、起こった出来事(明日までに作成しなければならないプレゼン資料)により湧き上がってきた自分の感情(不安、抑うつ、怒り)を俯瞰し、じっくり観察してみることで、感情や行動(完璧主義や回避傾向)のトリガーとなる自動思考を同定していきます。

【認知の歪み】の具体例

●二分割思考(0か100か)完璧主義
物事を白か黒か、0か100かの両極端でしか捉えられない。
例:「もしこれで契約が取れなければ、もう自分は終わりだ」

●過度な一般化
一つのネガティブな出来事だけを根拠に、すべて悪いほうに捉える。
例:「自分は何一つまともにできない」「自分は幸せになんかなれない」

●“すべき”思考
過度に「〜すべき」「〜しなければならない」と考え過ぎ、それが実現できないと罪悪感や自罰傾向が高まる。自分の中の“べき”に則った行動をしてしまう。
例:「良くないおこないをする人には、どう思われてもその人のために注意すべきだ」「自分はクズなんだから、何を言われても黙って甘受しなくてはならない」

●レッテル貼り
たった一度の出来事で、自分や他者にネガティブなレッテル貼りイメージを固定してしまう。
例:「どんな綺麗事を言ったってどうせ裏切られる」「所詮女(男)はこういうものだ」

●結論の飛躍
結論が正確かもわからないのに(そのような事実はないのに)、ネガティブな解釈をする。<心の読み過ぎ、空気の読み過ぎ>と<根拠があるわけでもなく相手に確認もしていないのに、相手は自分に対しネガティブな反応をしていると思い込む>という二通りのタイプがある。
例:「自分が話をしていたのにスマホを見た、きっと話が面白くないに違いない」

●先読みの誤り
起きてもいないのに、悪い結果になると勝手に予想し、その予想が確立した事実と思い込む。
例:「同窓会で嫌な思いをするに決まってる、だから行くものか」

●選択的注意(以前お話した“選択的注意”とは違います)
小さな一つのネガティブな側面だけを取り出し、他を無視してそのことだけを考える。
例:「その髪型似合うね、髪の色はもう少し暗いほうがいいかも」に対し「どうせ似合わないと思ってるんだろう」

●自分への関連付け
実際に自分に責任がないことでも、ネガティブな出来事をすべて自分のせいだと考えてしまう。
例:「私が発表しているのにあの人が出て行ったのは、私の話が退屈だったからだ」←たまたま電車の時間だったかも、具合が悪く席を立ったのかも、と思わない。

●破滅思考
もし○○が起こったら、もしくは、〇〇が起こらなかったら破滅だ、と決めつけて考えてしまう。
例:「もし面接に落ちたらおしまいだ、自分は耐えられないだろう」「彼がいなくなったらもう生きていけない」

認知の歪みは極端な思考を呼び、不快感や不安、怒りといった強い感情を生み出しやすくなります。認知→感情、の感情にだけ目を向けるのではなく、感情の出どころ(認知)に意識を向ける練習を続けると、自分の自動思考に気付けるようになります。

自分の自動思考における認知の歪みを同定できたら、合理的な反論で、その歪みに自分で反論してみます。自動思考→認知の歪み→その認知に反論した合理的反応・・・の例を一つ出して考えてみましょう。

<例:やっとこぎ着けた就職の三次面接前夜>

  • 自動思考:次こそ面接で上手くやらなくては。はぁ、ちゃんとやれるのか本当に心配だ。毎回こんな時は神経質になってしまって、本来の自分が見せられたことが一度もない。もう10回目の面接だ・・・でも、こんな好条件な仕事は二度と私には巡ってこない。
  • 認知の歪み:破滅化、過度の一般化、先読みの誤り
  • 合理的反応:「いかんいかん、自分は少し神経質になってるのかも。でも、面接なんて誰でも緊張したり神経質になるものだよな。緊張するなんて面接する側もわかってるはずだし。よし!履歴書も職務経歴書も丁寧によく出来てる、緊張して多少上手く話せなくてもこれで自分をわかってもらえるだろう。」

もう一つ例を出します。

<何日も前から親に「片付けるように」と言われていた散らかった部屋、「そういえば片付けたの?」と聞かれました。>

  • 自動思考:「あっ、何もやってないや。はぁ、つくづく自分って怠け者でダメダメな人間なんだろうな」
  • 認知の歪み:過度な一般化
  • 合理的反応:「確かに自分を片付けは苦手で時間もかかる。でも、だからといってすべてにおいて怠け者というわけではないよな。まとめては難しいけど、今日はタンスだけ明日は机と机周り、というふうにやれば自分でもできるぞ!」

合理的反応を目指すためには、まず【認知の歪み】やそこからくる【自動思考】に気付かなくては始まりません。

ちょっと自己分析してみませんか?

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ADHDの課題【時間管理】について<3>:優先順位をつけましょう。

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

8月からのコラムの続きで3回目となる今回は、ADHDの時間管理/“優先順位”“TO DOリスト”について考えていきます。

優先順位を決める。
スケジュール帳を使って、優先順位をつける。

を目標に、TO DOリストの作成や優先順位をつけるコツを身に付けましょう。

優先順位をつけることがなぜ重要なのかお話します。

日常やらなければならないこと(やりたいことも含む)をすべて終わらせるために、残念ながら自分が思うほどの時間はないのが現実です。 ADHDがないほとんどの人でも、TO DOリストに挙げた全部に取り掛かり終わらせることは難しいものなのです。ADHDを持つ人は、今その瞬間に興味が向いた、目に入った目先の関心事に注意が向く傾向が強く、注意を持続することや注意の転換も苦手です。

参照: “注意”をADHD(ADD)の特性から考える 分割的注意とは?

また衝動性が高いのでそれを意識して抑える積極的努力も必要となります。そのため、ADHDを持つ人には【TO DOリストを視覚化 → 優先順位をつける】ことが特に重要となります。

先延ばしや後回しクセもあるので、提出物や支払期限が過ぎてしまうことを防ぐためにも、まずはTO DOリストを作成しましょう。TO DOリストは、1週間〜毎日のリストを作ります。そのためには、やらなくてはいけないことを優先順位云々気にせず、全部を書き出すことからになります。期日や時間を気にせず、思い付くまま書き出す場所を持ち(カレンダーやチラシの裏で十分です)、これは全体像として取っておきます。

次に、リストの項目横に優先順位や緊急性によりわかりやすく印をつけます。例えば、振り込み、支払い、引き落としの期日が決まっている、提出間近といった緊急性から<1:家賃やカード引き落とし、2:仕事、役所などの提出書類を書く、3:印鑑が必要、4:○日までに提出する>というように。

ゴミ収集は決まった曜日に毎週あるものですから、そこそこ大切でも重要度はそれほど高くありません。忘れても大丈夫とは言いませんが、やらかした感満載で真っ青になるほどのことではないですよね(笑)。

全体的なリストを書き出したら、重要度や緊急性が高いものを取り出し、1週間または1日ごとのTO DOリストを作成しましょう。ここまでやってからそのリストをスケジュール帳の予定に組み込みます。

●重要度、緊急性をもとに、優先順位、類似性によりやらなくてはいけないことを分類します。
→電話連絡しなくてはいけない用件などは一度に済ませたり、請求書はできる限りまとめて支払いなど。

●【今すぐ/なるべく早め/後で(少し後でも大丈夫)】を【A/B/C】というようにわかりやすく優先順位のルールを決める。
→ABCや★☆、●○など馴染みやすい記号などが目に入りやすく、意識に留まりやすいですよね。

優先順位をつけるコツが幾つかありますので、参考にしてみてください。

  1. 仕事に必要な時間を見積もり、スケジュールの中で時間配分をする。
  2. 会社(職務)以外の家庭や友人関係の用事は、就業時間外の時間や休日に限定する。
  3. 常時スケジュール帳を持ち、確認する。
  4. 自分の体内時計を意識し、疲れておらず、もっと集中できる時に、時間がかかったり面倒な事柄を予定に入れる。
  5. 効率を上げるため、類似性を考えてスケジュールを組む。
  6. できるようなら、面倒なことと楽しいことを抱き合わせてやる(掃除は大好きな音楽を聴きながらなど)。
  7. 常にやるべきことに優先順位をつけ、優先順位から外れたこと(自分がやりたいことや関係ないこと)をやりたい欲求が出たら、全力で抗う。←欲求に流されない意識。

何度か出ていますが、

【取り掛かれないのは最初のステップが大き過ぎる】

ので、対処しやすく分解しましょう。

次回は、時間管理における情緒的な問題を考えていきます。

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coffee break:角に【足の小指をぶつける】という現象について

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前々回から<ADHDの課題【時間管理】について>と題して書いてきましたが、今回は息抜きを兼ねて、誰もが日常的に経験する、いろいろな角に

なぜか足の小指をぶつけるという現象

を、ぶつけられた小指の立場で考えたり、なぜか生まれる小指の持ち主である自分のやり場のない怒りという感情を勝手に考察していきたいと思います(笑)。なお、何のエビデンスもなく、極めて私的なくだらないことを先をお断りしておきます。

生きていれば誰もが一度以上は経験する“角に足の小指をぶつける”という現象について、インターネットではさまざまな意見が散見されます。

  • 身体の末端に位置するため、その存在を忘れやすくぶつけやすい。
  • 神から人間に与えられた乗り越えねばならない一つの試練。
  • 水や空気のように重要でも、その存在は無意識の外側に追いやられやすい存在(足の小指)を、わざわざ意識させることで、生命の根源、生きる意味を哲学的に問うため。

など、いろいろな分野のいろいろな人たちが持論を展開しています。

まず、“なぜ、足の小指をぶつけやすいのか”を私なりに考察してみます。

そもそも、小指に限らずぶつけようとして(ぶつけたくて)ぶつける人はいないはずなので、うっかりぶつけやすい場所に、わざわざぶつけやすい形状で存在している。

同じ足の端に存在しており小指よりはるかに大きいのに、親指をぶつけてその痛みからやり場のない怒りで八つ当たり・・・というのは聞きません。それは小指が足の一番外側に存在しているから、という単純な問題ではないように思うのです。

神は、ある種の怒りスイッチを足の小指の外側に作ったのではないか?と。無差別に八つ当たりしたくなるほど(もちろんしませんが)の、あの理不尽なレベルの痛みと沸き上がる怒りは、うっかりぶつけただけにしては分に合わないように思いませんか?

痛み(怒り)>>>>>>>>ぶつけた衝撃、に思えてなりません。

なので、小指の外側にはある種の普段意識することのない怒りの感情スイッチがあるのでは?と考えました。小指の持ち主も思わず七転八倒、頭の周りをヒヨコがピヨピヨ回ってしまうぐらいの痛みに襲われますが、小指本人(?)はもっと腹立たしいと思うのです。

親指のように主張せず、場所こそ外側とはいえ、ひっそり引っ込み気味に小さく存在しているだけなのに、なぜかうっかりぶつけられやすい位置に存在する小指。小指の立場になって考えると、腹も立つでしょう。

親指にさえ生まれていれば、ただそこに存在しているだけで、何の落ち度もないのにうっかり角にぶつけられなくても済むのですから。ぶつけられやすい位置にぶつけられやすい形状で存在している小指ですが、そこに“親指としてではなく小指”として存在している意味は何でしょうか。

小指はあくまで小指サイズでひっそり存在し、親指と同サイズの小指は存在しません。もしかすると、小指が親指サイズだと、うっかりぶつけた時に持ち主が受ける心身のダメージがあまりにも大きいと考え、ダメージを最小限に抑えるために、そのこじんまりしたサイズなのかもしれません。神様の配慮と言えるでしょう。

机の脚にぶつけた時に「・・・っった!!」と声にならない呻きと、机の脚が自分からぶつかってきたわけでもないのに、なぜか机の脚に腹が立つ私は、人としてまだまだだなぁ、と後から振り返り反省するばかりです。

考えれば考えるほど“勝手にぶつけたのは自分じゃん”なのに、ぶつけた対象物に腹が立つのが不思議です。人が相手ならばまだ説明がつきますが、無機物ですよ?ついでに記憶が吹っ飛びそうになるあの痛みも・・・。

くだらないことを真面目に一生懸命考える無駄時間が心の潤いである私は、人生の研究テーマが二つになりました。

オオケマイマイ(毛の生えたカタツムリ)に毛がある意味と、その発毛メカニズムを解明し、世の悩める薄毛の方々の役に立てないか?

足の小指をぶつけた際の当たり散らしたくなる(悪いのは自分なのに)痛みの意味と、なぜ小指が人体のあの位置にあの形状で存在するのか?

です(笑)。

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ADHDの課題【時間管理】について<2>

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2回目となる今回は、ADHDの時間管理/随伴性自己強化を使い、気が進まないタスクを少しでも楽しいものにする、についてお話します。

複雑な仕事や気が進まない事柄を対処しやすく分解する。

随伴性自己強化を使う。→やりたくない(不快感を伴う)ことを終わらせた後に、自分自身に報酬/ご褒美を与える計画を立てる。

自分への強化子(具体的な報酬、ご褒美)リストを作る。

この3つが今回のキーワードです。

単調な繰り返しがひたすら続く。

・興味がなく退屈な仕事。

・複雑で細かく時間がかかる仕事。

などは、ADHDを持つ人にとって完遂が特に困難です。

これらに対処するために効果的なのが、

【仕事(やらなくてはいけないこと)を大きな塊と見なさず、無理なく取り組める程度に小分け、“まとまり”に分解し、“まとまり”となった仕事が一つ完了するごとに自分に報酬(ご褒美)を与える】

というやり方です。

大きな仕事(複雑で時間がかかる、手順が面倒など)がドーン!と目の前にあると、山のようにやらなくてはならないことばかりに意識が向き、途方に暮れて、どこから手を付ければいいのかわからず、ますます手を付けるのが億劫になります。

そこで、自分がやろうと思っている仕事のボリューム、それを完了させるために費やす時間(あるいは労力)を“これなら容易に終わらせられる”と感じられる程度(のまとまり)まで小分けします。

大枠で<大掃除>を例にとると、「やることは何だかいっぱいだし大変そうメンドクサー」・・・になるので、“今日はすべての部屋の窓だけ”“トイレだけ”“バスルームだけ”と計画を立て、『他はやらない』と決め、小分けしたそのまとまりにだけ取り組む感じです。まとまりの一つである“今日はすべての部屋の窓だけ”を終わらせた後に、“好きなDVD(動画、ゲームなど)を1時間半”というふうに、随伴性自己強化のために前もって書き出していた“ご褒美リスト”から、自分に対し“強化子(ご褒美)”を与えます。

難しいのは、「ご褒美を先にもらっておいて後から頑張ればいいや」という、いつもの先送りしそうな気持ちが持ち上がることです。ADHDは極度に面倒臭がりでもあるのです。息子は毎回このパターンで、自分一人ですぐに終わりそうなことも完遂できず、鼻先にぶら下げるニンジンを先に欲しがるので(笑)、私がストッパーや柔らかい鞭になっています。

前記の“すべての部屋の窓だけ”掃除も、『うちには○枚窓があるから、だいたいこの位の時間がかかるな』と見通しを立てなくてはなりませんから、ここで必要なのが、【1】でもお話した

自分はこの(ボリュームの)仕事を終わらせるのに、どのくらいの時間が必要か

の見通しを立てられることが重要になってきます。時間を少なく見積もると焦って雑になったり抜き落ちが出てきますし、多く見積もり過ぎると、「まだ時間あるから大丈夫だし〜」とダラダラやりながら目についたテレビや雑誌などに注意が逸れてしまいます。なので、

今の自分の集中が続く時間を自分自身がわかっていないといけない

のです。

ADHDを持つ人には【手を付けられないのは最初のステップが大き過ぎる】というのがあるので、前記の“今の自分で容易に終わらせるだろう”程度の小さなまとまりにし、取り掛かるハードルを下げるのです。

より細かく大掃除を例にみてみましょう。

やる気があっても、気持ちとやる気だけが大きく、いざとなると取り組む(実行)ハードルが高いのがADHDです。

初めは【すべての部屋の窓だけ】でしたね。窓掃除に必要なものは何でしょうか。それをイチから探して準備するところからだと、ADHDにはそれだけで面倒で面白くないひと仕事になってしまい、本来の目的である窓掃除に辿り着く前に集中が途切れる可能性がありますから、前日準備という予備日を用い【窓掃除に必要な掃除用具を全部揃え、2日目にすぐに取り掛かれるように目につくところに置いておく】を目標にしてみましょうか。

バケツに雑巾、洗剤に必要ならスクレイパーや下に洗剤が垂れないように敷く新聞紙、汚れものを捨てるビニール袋など。1日目はまず、考えながら何が必要か最初に書き出し、それからひとつひとつ準備していきます。1日目は【窓掃除】はしなくていいわけですから、終わりの見通しが立てやすいですよね。集中も持続できるはずです。

2日目、もう窓掃除の準備は終わっていますから、それを見れば大掃除で窓掃除をする予定だったことは思い出しますし、すぐに作業に取り掛かれます。仮に『(今日の、今の)自分の集中は40分が限度かな』と思うなら、ひと部屋の窓だけならラクに終わらせられると考えられるので、まずは目先のひと部屋の窓を終わらせ、強化子(例えば好きなお菓子を食べて15分休憩などのご褒美、報酬)を与え、次の部屋の窓掃除をするとよいと思います。

家に何十枚も窓がある人を想定していないので、ひと部屋終わるごとにお菓子を食べて15分休憩しても、1日あればすべての窓掃除が終わります(笑)。

仕事を絶対に終わらせられる小分けの量にして、「おー!できたできた終わった!頑張ってできたよ、自分」という

小さな小さな成功体験を積み重ねていくことが重要

なのです。最初に、自分自身に報酬(強化子)を与える計画を立てると話しました。←(随伴性自己強化)これは自分の好きなことで構いません。ウォーキング、友達に電話、ネット、おやつ、散歩、テレビや動画視聴など。取り掛かることや完了させることができずに悩んでいるのなら、仕事が終わったらすぐに手に入れらるような強化子を考えてみるとよいでしょう。

時間記録、時間見積にはこのような雛型があるとすぐに書き込めると思いますので参考にしてみてください。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

ADHDの課題【時間管理】について<1>

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

ADHD(重複含む)を持つほとんどの人にとって、時間管理はとても厄介な問題です。

いつの間にか時間が経っていた、時間がなくなった・・・と感じることが多いのに、やらなくてはならないことがある時に、なぜか時間が足りません。きっと時間経過に謎を感じている人も多いのではないでしょうか。忘れやすさや時間管理に衝動的な言動、衝動買い。困り感に目を向けると、ADHDには生活上困る要素がたくさんあります。

今回から数回にわたり【時間管理】についてお話していきますが、初回となる今回は、さまざまな困り感の中から【時間管理/時間を意識する、スケジュールを組む】について考えていきましょう。

①自分の中にある時間意識を改善する。

スケジュール帳を使い、あなた自身の日々の活動に必要な時間を記録していきます(起床〜身支度〜食事〜出掛けるまでなど)。

とても骨の折れる面倒な作業ですが、効率よく予定を立てるためには物事を終わらせるのに“自分は”どれくらいの時間がかかるのか見当をつける必要があるからです。常に目につくところに時計がなければ時間をうまく管理することは不可能ですから、どの部屋にも目につくところに時計を置き、支障がない範囲でできれば見やすい腕時計を身につけ、「何時かわからなかったから」という自分への甘えをなくしましょう。もちろん、置いておくだけでは時間管理はできませんから、時計を意識して見ることが大切です。

「時計なんて見なくて大丈夫」と思った途端、問題に陥ります。時間はその経過を意識して追っていかないと、知らない間に過ぎ去っていくものだからです。←結果『私の時間、どこいった?』になります。

②スケジュール帳を準備しましょう。

スケジュール帳は1冊だけにし、時間とスケジュールが書き込めるよう1マスが大きいものや、1日を時間軸で書き込めるものを選び、開くとすぐにわかるようなものにしましょう。

時間管理を身につけるために日々使うものですから、見た目や可愛さやカッコよさではなく、自分が書き込みやすく見やすいものを厳選し、その1冊に専念し途中で放り出さないようにしてください。すぐに取り出し書き込めるように、ペンホルダーをつけたり、差し込めるペンを選び、常にペンも一緒にしておきます。お気に入りの使いやすいペンや付箋を使うとモチベーションも高まると思います。

ADHDの面倒臭がりが発動すると、すぐそこにペンがなければ、わざわざペンを持ってくることや探すことすら面倒になり、結局スケジュール帳を書かなくなるか、先送り癖が出て「後で書くからいいや(本人は覚えておけるつもりでも実際忘れ去ること多→結果書かない)」になります。

今は便利なアプリもあるようですが、私は敢えてアナログな手書き、スケジュール帳を勧めています。これは『アプリは悪!』ではないので、自分に一番合ったやり方で構わないと思っています。

③やらなくてはいけないことや約束の時間など、すべてスケジュール帳に記入する。

やらなくてはいけないことや約束を書くことで、スケジュールが確約するのだと意識してみてください。

④毎日、少なくとも朝、昼、夜にスケジュール帳をチェックする。

計画なしで1日をスタートさせない癖をつけましょう。いくらスケジュール帳に書き込んでも、定期的にチェックしなければ意味がないので、チェックすることを毎日繰り返し繰り返し習慣にしてください。

夜は、翌朝にやらなくてはいけない服薬や持っていく物、提出課題、人と会う予定があるなら待ち合わせ時間や移動交通機関などの確認、朝はスケジュール帳をチェックし、やらなくてはいけないことをやり、何にどれだけ時間がかかったのかも記録します。少なくとも1日1回はスケジュール帳を更新し、完了していない項目や変更があった部分のスケジュールを立て直してください。書いて終わり、見て終わり、だと時間管理になりません。

最初はスケジュール帳をチェックするのも忘れがちかもしれないので、スケジュール帳チェックのキーワードや合図を自分の行動の中に関連付けて決めましょう。例えば・・・朝顔を洗ったら、コーヒーを淹れる時、ランチ終了後すぐ、歯磨きが終わったら、お風呂から出たら、などです。

⑤うまくスケジュールを組むコツを身につけましょう。

繰り返しおこなうこと(服薬、朝シャワーの人はシャワー、月末の請求書払い、銀行など)は毎回同じ時間に予定してください。

毎月決まった日の支払いなど、予定を立てる上でわかっていることはスケジュール帳に書き込んでおきます。難しいことや時間がかかると思われることは、最もやる気がある(疲れていない)と考えられる時に設定してください。

「自分は今とてもやる気がある、元気だ」と感じた時には、やりたいことではなく最も面倒、困難だと思われることから取り掛かりましょう。これには今まで先延ばしにしてきたことも含まれます。

面倒、困難なことに取り掛かった場合、途中で「後でまたやろう」と先延ばしにすることは止めましょう。止めたことを再開するのは、最初に取り掛かった時よりもはるかに困難だからです。

小さな事柄は“すき間時間”に組み入れます。例えば、列に並んで待っている時、バスや電車に乗っている時、お風呂に浸かっている時間やお湯を沸かしている時間、洗濯待ちをしている時間など。

スケジュールはキツキツに組まず、必ず“リラックスタイム”を挟みます。キツキツにスケジュールを組むと、焦りから抜け落ちが増えたり、息つくひまがない!という気持ちから心身疲労が高まります。

すき間時間にできる小さなことは何かを考えてみましょう。ざっくりスケジュールを立てる、郵便物を開封したり請求書を仕分ける、夕食や週末の予定を決める、読もうと思っていた本を読んだり音楽を聴く、など。

すき間時間は時間の断片です。この小さな“時間の断片”を有効活用することで時間を節約できるので、改めてこの“すき間時間”を意識し、何ができるかを考えてみましょう。スケジュール帳を見返すことで、あなたにも絶対にあるすき間時間がどこにあるのか、わかると思います。

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自己満足だけで終わらない厄介なメサイアコンプレックス

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

困っている人の力になりたい、助けたい。

社会に貢献したい、役立ちたい!

大なり小なり誰にでもある欲求ですし、それ自体はとても尊い心がけだと思います。しかし、メサイアコンプレックス(救世主妄想)の場合、少々厄介です。

他者を助けることでトラブルを引き起こすメサイアコンプレックス。

さまざまなトラブルとは“人助けをしても嫌がられる(迷惑がられる)”“自己犠牲で疲れ果てる”“不健康な人間関係になってしまう”などですが、なぜ他者を助けることでトラブルが起こるのでしょうか。

まず、メサイアコンプレックスを持つ人には幾つかの特徴があります。

●優しそうな雰囲気(優しい)
●自分を犠牲にする
●問題を抱え苦しんでいる人の側にいる
●ボランティア活動が好き
●他者からのアドバイスや意見を聞かない

それではひとつひとつ見ていきましょう。

  • 優しそうな雰囲気(優しい)

メサイアコンプレックスの人は困っている、問題を抱えている人を見過ごせません。そのような人を見つけると優しく声を掛けます。相手を助けたいという気持ちはもちろんですが、相手がこれからも自分を頼る仕組みを作ろうとする意図が無意識にあります。

  • 自分を犠牲にする

これほど頑張っている自分には大いに価値がある、と考え、今の状況に疑問があったり自己犠牲から本人も心身に疲労を感じていても、他者助けをすることでしか自分を満たすことができないので、やめたくてもやめられなくなっています。

  • 問題を抱え苦しんでいる人の側にいる

メサイアコンプレックスの根底には“人助けをすることで自分を満たしたい”欲求があるので、欲求を満たすために“助けられる他者”が必要です。そのため、問題を抱えている人を見つけて側に寄り添うのです。相手の世話(?)を続けることで『こんなに一生懸命尽くす私には価値がある』『この人には私が必要なんだ』(共依存の始まりですね)と感じ、自分の気持ちを満たすのです。問題を抱えている人は往々にして余裕がなく、普段冷静な人でも冷静さを失っていることが多いので、そのような心理状態の時にメサイアコンプレックスの人が現れると、ついすがってしまいます。これが共依存を生んでしまうケースも多くあります。

  • ボランティア活動が好き

ボランティア活動には手っ取り早く自分の中にある無意識な欲求を満たすことができる環境が整っているからです。ボランティア活動では一人一人に役割が与えられ、他者や社会に貢献することで『人の役に立っている』『自分は必要とされている』とわかりやすく感じることができるので、自分を満たすことができるのです。ただ、本当に奉仕の気持ちでボランティア活動をしている人も多くいるので“ボランティア活動をしているからメサイアコンプレックス!”では決してありません。メサイアコンプレックスの人は、自分の思いどおりにならないことが起きると急激に熱が冷め、そのボランティア活動を辞めてしまいます。

  • 他者からのアドバイスや意見を聞かない

メサイアコンプレックスの人は、“これが正しい”“これが(こうすることが)この人の(社会の)ためになる”という、自分なりの正義感や思い込みが強いので、「自分は間違っていない!」という気持ちを持っています。そのため、他者からのアドバイスや意見に耳を貸さない、受け取れない人が多いようです。今流行りの自粛警察にマスク警察、思い当たりませんか?

誰にでも『誰かに必要とされたい』という気持ちはあるものですが、メサイアコンプレックスの人は『自分には価値がない』という劣等感も持ち合わせているので“誰かに必要とされたい”という気持ちをより強く持っています。メサイアコンプレックスがあると、自分の存在を無条件に『意味がある』『価値がある』とは考えられません。そのため“誰かを助ける自分”“社会に貢献する自分”がなければ、自らに価値を見出せないので、より一層誰かに必要とされたいと強く思うのです。

ほとんどの人が何らかの人助けをした時に見返りを求めるもので、これはごく普通のことです。これは何も金銭物品のお礼という見返りではなく、「ありがとう、助かったよ」というひと言も、この場合、見返りになります。人助けをして、ありがとうと言われ気を悪くする人はいませんよね。

メサイアコンプレックスの人も人助けをした時に見返りを求めているのは同じなのですが、その見返りの“質”が違います。

人助けとは本来“相手を助ける”ことが目的です。見返りはあると嬉しい(喜んでもらえた、感謝してもらえた、ご飯をご馳走してもらえたなど含む)けど、なければ「残念だなぁ」程度ではないでしょうか。メサイアコンプレックスの人は“人助けをすることで自分を満たす”が目的ですから、自分が望む見返りがなけれは意味がないと考えます。そのため、メサイアコンプレックスの人は人助けをした後に見返りがないと過剰反応します。

お礼の言葉がなくても普通は「失礼な人だな」くらいで済むと思いますが、メサイアコンプレックスの人は「(あなたのために)こんなにやってあげたのにあり得ない!」という考えになってしまいます。人助けは同じでも、相手を助けることが目的、人助けをして自分を満たすのが目的・・・と、目的によって結果(お礼、見返り)に対する反応がまったく違うのです。

メサイアコンプレックスには、過去に劣等感を生む辛い体験や、生活環境があったことに間違いありませんが、身近にメサイアコンプレックスがいると、親切の押し売りや頼んでもいないのに勝手に暴走され、かなりウザいと感じるでしょう。

メサイアコンプレックスを持つ本人がメサイアコンプレックスの自分と向き合っていくのはもちろん大切なことですが、巻き込まれて不快な思いをしないために対処法を身につけたほうが良いこともあります。

メサイアコンプレックスは自分を必要としてくれる人を求めているので、心理的距離を取り、こちらから関わらないことが一番の対処法です。次に

「自分で考えて行動できるから大丈夫(助けはいらない)」

をはっきり主張することです。

「心配してくれてるから申し訳ない」「せっかく助けようとしてくれてるから」と思ってしまうアナタ、共依存にまっしぐらですよ。

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