アスペルガーの持つこだわり〜パートナーを通して考える【後篇】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前篇では私のパートナーにおけるアスペルガーのこだわりを、私の視点で書いてみましたが、後篇ではアスペルガーであるパートナーから見た視点で、定型と言われる人々や、定型を基準に構成されている社会がどう見えているのか、『アスペルガー視点による定型』を聞き取ってみたので書いてみたいと思います。定型の人には耳が痛いことや辛辣な言葉もあると思います(笑)

——幼少期を振り返って、“何か違う”“なぜ、みんなそうなんだろう”と思ったことは?

幼少期より極度な人見知りだった。よく覚えているのは幼稚園児の頃は家以外のトイレには入れなかった。それは『行きたいけど行けない』ではなく、家のトイレ以外を『汚い』と感じていて強い抵抗感があり、我慢していた。幼稚園であれ学校であれ、当時の公衆トイレは和式が主流で、使い方に不慣れだったこともある。公衆トイレには和式・洋式問わず今でも抵抗感はあり、家まで我慢できるなら極力我慢している。
また、一人遊びが好きで(例えばミニカー。ここでも自分なりの規則性があり、無意識にそれに則って)いつも一人で遊んでいたが、母からは「友達と遊んできなさい」と言われて苦痛だったことを覚えている。親しい一部の人以外と関わるのが嫌だった。今思えば極度な人見知りも影響していたのかもしれない。中学生になるまで、俗に言う『おとなしい子供』で母が友達ができるか心配したほどだった。

——他者に言われて、頭ではわかるけど、自分にはどうにもこうにも納得できなかったことは?

日本人が重んじる協調性や同調圧力には納得がいかないことが多い。『察しろ文化』が苦手。見返りや貸し借りと感じることがある。組織においては、雑用などは新人や下の者がやるべき、ということが当然とされていることも納得がいかない。基本的には『気づいた人がやればいい』と思っている。それを頭ごなしに新人や下の者の役目、と言われたり強制されると『なんで?』と心の中で合理的理由を求めてしまう。

——社会に出るとさまざまな人と関わることが増えるが、どういった場面や部分で違和感があったり、理不尽と感じるか?

さっき言った、新人や下の者はこうあるべき、こうすべき、みたいなことは今でも理不尽だと感じている。大体において合理的理由を言ってくれることは、まずない。言ってくれて、その理由に納得しさえすれば素直に聞き入れられることもあるのに、言われないことのほうが多いから、理不尽と感じることも多くなる。なぜ合理的理由を言わないのか、いまだにわからない。それでも仕方なくやっていると、やる気がないだの、ちゃんとやれだのと文句を言われる。まったく理不尽だ。定型の思い上がりを感じるね(笑)

——他者と関わりを持つ中で、納得がいかないところはどんなライフハックを身につけてきたか?

ライフハックと言えるのかわからないが、就職してからは飲みに行くことで、自分一人で消化しづらい感情をリセットしていた。ただチェーン店の居酒屋で飲むことは絶対になかった。そういう所では消化どころか、逆に落ち込んだり怒りが募ってくるから、一人で行っても話せる飲み屋にこだわっていた。手っとり早いのはキャバクラとかクラブとか、オネーちゃんがいる店ね(笑)同時にバーを探していた。行きつけになれば一人で行ってもバーテンと話せるし、家でもない職場でもない第三の居場所になるかな、と思って。ライフハックという言葉は知らなかったから、当時はいい意味での『逃げ場所』という認識だった。今でもそうだが、自分にとってそういう飲み屋=再生ドック、と思っており、気持ちの重み、澱を軽くする場所になっている。

——定型と言われる人たちのどこが面倒、必要ないだろうと思うか?

言葉でちゃんと言わないくせに、ヘンな協調性を求めたり、気持ちにしろ、行動にしろ、こういうものだ、と勝手に決めつけ、無意識に押し付けてくるところがメチャクチャ面倒で迷惑。『オマエの価値観を押し付けるな』と思う。具体的には上手く言えないが、一度相手と根本的に文化が違うと思ってしまうと、話し合っても無駄だと思っている。それから、合理的ではないことを、合理的ではないとわかっていながら『そういうもんだから』と合理的にしないところは、非難を承知で、もはや『バカか』と思ってしまうね。
また、関心がない相手には聞かれたことには答えるけど、オレからは聞き返すことはないね。例えば、相手に「ご出身はどちらですか?」と聞かれれば「東京です」と答えても、「〇〇さんはどちらですか?」と聞き返さない。だから会話が続きにくい(笑)。場面によっては意識して聞き返すようにしているが、そういう時の後は尋常ではないぐらい疲れるね。『聞き返してほしいんだろうな』『聞き返したほうがいいんだろな』と思うことがもう面倒だし、そもそもこっちは答えたのだから、聞き返されなくても言え、と思う(笑)

——今まで他者に共通して何度か言われてきたこと、思い返すことはあるか?

何を考えているかわからない、地雷がわからない、ミステリアス、親からは難しい子、と言われている。急な予定変更や予定どおりにしてくれないことには怒りを覚える。定型の人もそうかもしれないが、筋が通らないことも嫌だし、そういう人は絶対に信用しない。ただちょっと違うのは、人を『性悪説』で見ているところが定型よりも徹底しているかもね。大体において言行一致であるかどうかをシビアに見ている。

——人間関係、恋愛遍歴の中で、今思うとアスペルガー特性が起因で衝突、スレ違いがあったエピソードは?

妹の披露宴の時。最初に記念撮影をするということで、予定の時間より10分前に会場に着いたのに、ホテルスタッフに「皆さんもう雛壇に整列されているのでお急ぎください」と到着早々言われ、反射的にブチギレた(笑)オレは遅刻していないのに、あたかも遅刻したかのような言い様だったから。しばらくして聞いたが、あの時はブチギレという言葉では済まない、それとは種類の違う、恐怖を抱く凄まじい激怒だったようだ。
それから、恋愛遍歴での衝突はない。アスペルガー特性がどうのこうのという域までいかないうちに終わってしまうか、終わらせてきたから。だから今までの恋人はオレがアスペルガーであったことは知らないと思う。オレ自身ここ2〜3年で自分がアスペルガーだと自覚したんだから(笑)
また、過去の失敗経験から『前は〇〇だったから』ということで、自分の中に“人間行動パターン”を持つ傾向がある。過去の失敗経験に似た場面だと思ったら徹底的に避けるし、そういう人がいたら必要最低限しか口をきかない、目も合わせないね。

——定型に対して思うことは?

もっとドライでいいと思う。美談と言われる話は辟易する。『愛は地球を救う』というテレビ番組、あれは鬱陶しいよね。あと『みんなと一緒』思考がまったくわからない。みんなと同じでないと不安になるという心理が理解できない。新卒一括採用で必死に就職活動している学生は滑稽にしか見えない。一社からも内定を得られず自殺する学生もいるらしいが、へぇー、ぐらいしか感じない。長い物に巻かれなければ上手く生きていけないのが定型社会だとしたら、オレみたいなアスペルガーはある意味最初からアウトロー、生きにくいわけだよね。だけど、そういう定型社会はもう限界に来ていると思うな。ダイバーシティとか多様性とか、ある部分で既存の定型社会では収まらない価値観が出てきているから。定型連中はそれに気づいて多様性とかダイバーシティとか言っているのか知らないけど、多分そんなことは考えずに流行りに乗って言ってるだけだろうな、実際、現場は多様性やダイバーシティなんて程遠いし、絵に描いた餅にしかなってないから。そもそも人は多種多様なんだから、今さら何言っちゃってるの?と思う・・・あのさぁ、定型ってバカなの?

——屈託のない笑顔で「定型ってバカなの?」という問いに思わず噴いてしまいました。決して彼は自分は頭がいいという意味で言っているのではなく、子供がするような、無垢な質問という感じでしょうか、車椅子の人を見て「あの人はなんで足がないの?」みたいな感じですかね(笑)

——私は(ド)定型だけど、定型に対して何か意識していることは?

そうだな、共感することかな。共感ポイントを見つけて意識的に共感するようにしている。腹の中では違うことを思っていても言葉や文字では“この場合、こう言った(書いた)ほうがいいんだろうな”と考え、パターン化している。(定型である)君を見ていて『もっと(言いたいことを強く)言えばいいのになぁ、ユルいなぁ』と思うことはある。オレから見て、そういうところは【定型障害】という定型ならではの障害なんじゃないか、と思ってしまう。あえて定型障害と表現すると、定型は一般的に「察することが善」を無条件で求め、当然のことと考えている、「“みんな”はこうしている」を当たり前に求め、それをやらない(できない)と調和を乱す異分子と受け取る傾向がある気がする。疑問があっても「みんなそうしている」という文系的な答えで合理的な答えが返ってこないのは【定型障害】の典型例だと思う。こういう中で生きていると、定型善、発達障害悪という風潮に「定型ナニ様?」と感じるね。そういうところ、定型も振り返って改善したほうがいいよ。自分達を障害と思ったことがないだろ、だからオレに【定型障害】とか言われちゃうんだよ(笑)

【定型障害】という造語には目からウロコというか、そういう視点はなかったなと思って、無意識に定型を基準に物事を考えていた自分にハッとしました。彼が「定型ナニ様?」と言うのもわかります。定型のほうがマジョリティな社会だから定型側を基準に考えがちですが、それ自体傲りで反省すべき点かもしれません。

パートナーはアスペルガーだから生きにくいと感じつつも、定型に合わせようとはせず(合わせる気がない)、場合によってはぶつかることも厭わない姿勢がここまで言えるのかな、とも思いました。どこか正々堂々としているというか、上手く言えませんが、アスペルガーだからといって卑屈ではないことは確かです。もし「どうしてそういうふうにいられるの?」と聞いたら、

「なんで定型に合わせる必要があるの?」

と、逆に聞いてくる姿が目に浮かびます(笑)

今月15日土曜日は夏季休業のため、コラムはお休みします。お盆明けは20日木曜日から掲載します。

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アスペルガーの持つこだわり〜パートナーを通して考える【前篇】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

以前このコラムでもパートナーがアスペルガーであることや、それが起因で数々の修羅場など、パートナーからも当時を振り返ってもらいながら聞き取りをしたことを連載しました。

パートナーはASD<アスペルガー疑惑編> パートナーはASD<カサンドラ愛情剥奪症候群編> パートナーはASD<アスペルガー受容編>

今回は、見た目にはまったくわからない彼のこだわりの部分について、少しお話しようと思います。

アスペルガーやADHD、LDといった発達障害は見た目にわかる障害ではありません。

私自身、名称に『障害』とついていても

独特の認知を持ち、得手不得手のバラツキが大きく、定型と言われる人たちとは少し違う脳の作りをした個性豊かな人たち。時として本人や周りに困り感が表れ、私生活や社会生活に影響が出てしまう人たち。

という理解をしています。

比較的わかりやすい特徴が表れ、気付かれやすいADHDとは違い、パートナーはADHD要素を1ミリも持っていない、純粋アスペルガー(笑)のようで、踏み込んだ関係にならなければわからないことが多くありました。

実際に、私のようにパートナーがアスペルガーという人もいると思いますが、付き合い始めはわからないか、小さな違和感程度だったはずです。

コミュニケーション、想像力、社会性に障害を持つと言われるアスペルガーですが、その特徴の表れ方は濃淡だけでなく千差万別で、こだわるポイントもその人ならではの個性的なこだわり方です。見た目からはまったく気付かなかったのですが、彼はかなりの鉄ちゃん(鉄道マニア)で、私が勝手に思い描いていた鉄ちゃんイメージを覆してくれました。

鉄道好きのアスペルガーの男性は本当に多く、電車そのものに留まらず時刻表も大好きです。車体にある形式記号(モハ←モーターがある車両。厳密には車両重量と車両用途を意味するらしい)など、とても熱く説明してくれるので私も詳しくなりました(笑)

電車も何でもよいわけではないようで、細かいこだわりがそこここに見られます。どこにどんなこだわりポイントがあるのかを知ることで、より一層理解を深めることができました。

食(内容だけでなく)に対するこだわりもありますが、数字や規則性へのこだわりがはるかに強いようです。

SNSへの投稿は一年の始めに彼なりの法則に則り、日付、曜日から投稿する時間を何時何分何秒まで決め、投稿前はパソコンに張り付き、時間を気にしています。さらに投稿する日も3日おきと決めており、偶数分と奇数分を交互に投稿しています。

記憶力の優れた人ですが、頭で記憶しておくだけではなく、パソコンに“〇〇の投稿は何日、何曜日で時間は△△、◇◇の投稿日は〜”と一覧にしてあり、月に一度変更するカバー画像の変更日時も決めています。

「マヨネーズはキューピーがいいな、なければ味の素でも・・・まっいいか」程度のこだわりしか持たない私からすると、そのマメさ細かさに驚きを隠せません。

私は彼の数字や時間、予定や食へのこだわりをできる限り尊重しています。こだわりもなく、臨機応変な切り替えも苦ではない私は、パートナーに対し無理をしたり我慢しているわけではなく、一緒にいることが彼の負担にならないように、という思いからくるものです。

自分のペースで過ごす一人の時間が絶対に必要な彼を深追い(笑)しませんし、なぜかご機嫌ナナメな時はひたすらそっとしておきます(放置?)。認知も消化の仕方やスピードも違うので、彼のペースを第一に考えます。

話をしていて認知の違いを感じる場面も多くありますが、「私は〇〇と感じるし考えるけど、彼は違うのか、そうかそれは実に興味深い」で、よほどのことがなければ問題にもなりません。

今は衝突することはありませんが、アスペルガー対応がわからなかった時はとにかく疑問だらけで、会えば話せば見事に地雷を踏みまくりました(笑)彼のこだわりが強く表れる“食”について面白いエピソードがあります。

一日一食(しっかり食べるのは昼食だけ)の彼が昼食にかける情熱は並大抵ではなく、大概は「今日は〇〇を食べる!」と決めて出かけますが、何となく出かけ、気に入るお店を探すこともあります。

たまたま彼の気に入るお店があればいいのですが、歩き回ってもなかなか見つからないこともあり、私は“とりあえず”を提案してみるのですが、瞬く間に却下されます(笑)

まず店構えが気に入らなければ、どんなにオナカが空いていても絶対に入りません。こだわりに妥協しない(できない?)アスペルガーらしい部分ですね。

普段歩くことは構わないのですが、如何せんオナカが減っている中での『まずは店構えから』なので、最初はかなり狼狽えました。アスペルガーでなければ、ここまで彼女を気遣い(オナカ減ってるだろうなぁ)適当なところで手を打つと思うのですが、彼は「ハルはどこか他で食べてもいいよ(自分はまだ探すから)」です(笑)

私はオナカが空いて不機嫌になることはありませんが、最初は「〇〇食べたいなー」だったものが「ココイチでもいいや、いや、コンビニでも構わない」と、どうでもよくなってきます。それを伝えると彼は

ハルは生き方が雑だな〜。

と言われます。あまり言われることがないと思います。

生き方が雑。

細かい、生真面目と言われることはあっても、雑と言われたのは生まれて初めてで、しかも【生き方が雑】ですから、「生き方が雑って、ナニ〜!?」と見事にツボにはまりました。

野生(アスペルガー?)の勘なのか、店構えを気に入り「ココだ!」と彼が選んだお店は間違いなく美味しいので、それからはお店選びは丸投げでお願いしています。

こだわりが少ない(ない)側が、こだわりが強いほうに寄り添っていくほうが上手くいくので、それを「譲った」「我慢した」「合わせてやった」と捉えるタイプの人だと絶対にうまくいかないでしょう。

させられた、と感じると、人は積み重なった時に不満を持ち、他責傾向が高くなるものです。

次回は発達障害という単語に対し嫌味も込めて【定型障害】という表現をするパートナーが、アスペルガー視点から定型と言われる人たちをどう見て感じているのかを、本人に聞き取りした内容をまとめてお話したいと思います。

定型に対して嫌味も含まれ歯に衣着せぬ本音トークだけに、辛辣な表現が予想されますが・・・(笑)定型から見たアスペルガーのブログや書籍はあっても、アスペルガーから見た定型についてのことを聞く機会は少ないので貴重でもあります。

ユニークなこだわりや独特の認知スタイル、感情コントロールが苦手で個性的な世界観を持つアスペルガー。アスペルガーのパートナーから、定型がマジョリティとされる社会や人々はどう見えているのでしょうか。

今月15日土曜日は夏季休業のため、コラムはお休みします。お盆明けは20日木曜日から掲載します。

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何だか疲れるズレ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回の会話泥棒についでに、会話のズレについて話そうと思います。

どんな場面でズレて、何故ズレるのか、ぶっ飛んだトンチンカン返しになるのか考えてみます。

話をしていて、激しくトンチンカンな場合もあれば、微妙な会話のズレとしてモヤモヤすることがあります。これも重複がある息子を例に会話のズレを見ていきましょう。

中学生の息子はASDもある重複で、会話から早合点したり、違う方向に勝手に解釈したり、他者感情を考えない独特の受け取り方や被害的な受け取り方をする特徴があります。それが原因で、起こらなくてもよい衝突が学校でも家庭でも日常的に起こります。

まず彼は、コミュニケーションの大原則、5W1Hのどれもが適当か、スッポリ抜け落ちたコミュニケーションスタイルで、彼の話したいことに辿り着くまでかなり時間がかかります。

「話したいことを今言いたい!今!!」というADHD衝動性に突き動かされ、頭に浮かんだことからそのまま口に出すので、のっけからまったく意味がわからない、端折りまくりの、息子本人にしかわからない噛み合わない会話(?)がスタートします。

例えば、とある日の息子との会話。

息子:800円!
:いきなり何??
息子:(微イラ気味に)だーかーらー、提出!!
:教材徴収金ね、プリントと封筒をもらってない?
息子:(中イラ気味に)だーかーらーっ!教材費!!
:それはわかった、プリントと封筒があるんじゃない?
息子:明日800円いるんだよっ!!
:それもわかった、いつも教材費徴収連絡プリントと一緒に封筒をもらってくるでしょ?
息子:お釣りなく出さなきゃいけないんだってば!!
:いつもそうだから知っているよ、封筒ないの?こっちで用意するの?
息子:1,000円札じゃダメって言われた!
:だからさ、さっきから教材費用の封筒あるかどうか聞いてるでしょ?
息子:(イライラMAXぶちギレて)もー!!話通じないなっ!

かなり、かな〜り疲弊します。彼の頭の中では話したいストーリーが全部繋がり出来上がっていて、私の頭の中でも繋がっている(わかるはず)と考えているのです。私はただの凡親でエスパーではないので、いきなりの800円から息子が言いたいことを全部を察し、汲み取ることはできません。でもそんなことはお構いなしなのが息子です。

これは極端なトンチンカン返しですが、微妙な会話のズレはもっと頻繁です。

:このマンガ面白いね、動物好きな人が描くマンガって、生き物あるある多くて面白くない?
息子:この人、カエルの絵下手。
:いやいや絵の上手い下手じゃなくて(実際は特徴を上手く捉えていてとても上手い)、内容、内容。
息子:こんなカエルいるわけない、見たことない。 ←マンガだからデフォルメされている。

↑全然会話になっていません。

:今回の都知事選は立候補者多いね、ビジュアルもマニフェストもなかなか個性的だよねー。
息子:気持ち悪い、落ちればいいのに。具合が悪くなった。
:いきなりナニ??
息子:僕は投票しない。←そもそもまだ君に選挙権もありません(笑)

↑人の話を聞いてませんね。

一度ICレコーダーで普段の会話のやり取りを録り(いつも会話がズレるので、いつ録っても見事なズレっぷりが録れる)、コミュニケーションのどこにズレがあるのか二人で聞いたことがあるのですが、息子曰く「母さん・・・意味わかんない!オカシイ!」と、自分ズレしてない自分オカシクナイ!で話になりませんでした。

ASDの人と会話をすると、心の理論が薄かったり欠如していたりすること、認知の違いから微妙にズレた会話になるのはよくあることですが、息子はかなり極端だと思っています。

はっきり言語化されていなくても、会話の中からの情報を繋ぎ合わせたり、表情、仕草といったノンバーバルコミュニケーションから、察することや汲み取りは得意なのですが、日々息子とやり取りしていると、会話がズレずトンチンカンなことを言い出さない人と、しっくり噛み合った話をしたくなるもので、そんな時は仲の良い友人相手にガス抜きさせてもらっています。

「朝から雨だと気分が上がらないよね」と話し掛けたら、皆さんはこの他愛もない雑談にどう答えますか?ちなみに息子は「梅雨なんだから当たり前に雨降るよ」でした(笑)

このやり取りをズレと感じますか?ズレていないと感じますか?コミュニケーションとしてまったく成り立っていないわけではありませんが、明らかにズレています。

普通(この表現はあまり好きではありませんが)は「ほんと、憂鬱な気分になるよね」だったり、「え、雨好きだからウキウキしちゃう(笑)」になるものです。何故なら、朝から雨だと“気分が上がらない”という“気分”について話が振られているからです。

「困ったな、事故で電車が遅れてるから取引先に間に合わない」に対し、「日本の鉄道は世界一正確だと言われてるんですよ」だと、ズレていると思われてしまいます。私も当然ズレを感じますが、間に「それは困りましたね、連絡取れてますか?」→「すぐに電話しなきゃ」からの「日本の鉄道は世界一正確だと言われているんですが、事故だと流石に遅れ出ちゃいますよね」という流れであればズレもトンチンカンも感じません。

A:ここのホットサンド、美味しいんだよ。
B:パセリ、嫌い!

これでは会話が噛み合っているとは言えませんよね。Bは言いたいことを言ってるだけで、コミュニケーションとは言えません。

会話はキャッチボールです。

投げっぱなしは会話ではないのです。

気になるキーワードにだけ注目して反応し、目の前にいる人が何を言わんとしているかを意識(無意識にですが)して噛み合った会話をしないと「何だか話が通じない」「ちょっとズレてる」「人の話、聞いてないの?」と思われているかもしれません。

「そんなこと言っているんじゃないんだけどな」←着目点のズレ

「何でそう受け取っちゃうかな」←認知の違い

これが繰り返されると「あーもう疲れる・・・。」になるものです。

会話する、って案外難しいものだと思いませんか?前回に引き続きコミュニケーションについて書いてみましたが、改めて自分のコミュニケーションスタイルを意識したり、自分のクセに目を向けてみると、今までよりより会話が弾んだり、コミュニケーションが楽しくなるかもしれません。

あなたのコミュニケーションクオリティがワンランクアップするといいですね。

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神出鬼没?【会話泥棒】にご注意

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【会話泥棒】

ご存知でしょうか。

泥棒と付いていると何やら穏やかではありませんが、“物を盗み取る”という泥棒ではありません。

皆さんの周りにもいませんか?話をしていると、まだ話し終わっていないのに「聞いて聞いて私も〜」と話を被せてきたり、「私なんかさ・・・」「私だって・・・」と、自分の話に持っていってしまう人。

持っていってもすぐに話をしていた人にバトンを戻せばいいのですが、大概奪ったバトンは奪いっぱなしです。

A:ちょうど出かけてる時に雨が降ってベランダの洗濯物が濡れたよ、最悪。
B:そうそう、いきなりの夕立だったよね。
A:買い物も中途半端、洗濯やり直しで散々!大丈夫だった?
B:タッチの差で取り込めたから大丈夫だけど、雨で買い物に行きたくなくなっちゃった、洗剤買わきゃもうないのに・・・。
C:うちも洗い直しになっちゃった。午前中に買い物を済ませてたのが救いだったかな。洗剤切らすと困るよねー。

↑これは会話のキャッチボールが上手くできている状態。

A:ちょうど出かけてる時に雨が降ってベランダの洗濯物が濡れたよ、最悪。
B:そうそう、いきなりの夕立だったよね。
A:買い物も中途半端、洗濯やり直しで散々!大丈夫だった?
B:タッチの差で取り込めたから大丈夫だけど、雨で買い物に行きたくなくなっちゃった、洗剤買わな・・・。
C:うちも洗い直しになっちゃった。ていうかさ、この前雨が降った時、うちの主人ったらさ〜・・・

↑これ、会話泥棒が混じってますが、誰が会話泥棒になってしまっているかわかりますか?二人で話している時はもちろん、数人で話をしていても無意識に平気で“自分の話”に持っていく人がいます。

話しを相槌を打ちながら聞くのは、聞いてもらう側にとっても心地好い会話を楽しめるものですが、話を被されたり途中から自分の話にすり替えて会話ごと自分の話したい流れに持っていってしまうこと、これはいけません。

ここに発達障害が加わると・・・

ADHDなら、“雨”“買い物”“ベランダ”など会話に含まれる、自分が気になったキーワードから話したいことを抑え切れずに(衝動性)、話を被せてきたり、話さずにいられなくなり、結果会話泥棒になってしまうことも。

重複がある息子は、目に見える多動はないものの(脳内多動のみ)、ADHD衝動性も強いので、誰かと話しているとそれが電話でも、気になったキーワードに反応して口を挟んでくるので「人の話にいきなり割り込まないで」「話を被せてこないように」「いきなり自分の話始めない!」と口を酸っぱくして注意することの繰り返しです。地味に疲れます・・・。

誰でも話を遮られたり、いきなり割り込まれたり、最後まで話したいのに勝手に話題を変えられたらムッとするものです。電車移動をしていると、聞こうとしなくても自然と会話が耳に入ってきて、「あ、会話乗っ取られてる」と思うことがあります(笑)

行動観察がてら注意を向けていると、乗っ取られてしまった人が一瞬「え?」の後、ムッと表情に出したことにも気付かず話を続けているので、乗っ取られた人は相当面白くないだろうな〜と思います。

これが毎回続いたらどうなるでしょう?

「あの人と話しても何だか楽しくない」

「いつも自分の話ばっかり」

「人の話をまったく聞かない」

こう思われてしまうのです。

何故か嫌われてしまう人の中には、この【会話泥棒】が原因の人もいるので、今一度自分のコミュニケーションスタイルを振り返ってみるとよいかもしれません。

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視覚機能って?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回はASD・ADHD重複を持つ息子を例にしながら、【視覚】についてさまざまな角度から簡単にお話したいと思います。

発達障害と言っても、<先の見通しを立てることが苦手><こだわりが強くて融通が利かない><部屋が片付けられなくてカオス><忘れ物が半端ない><先送り癖がヒドイ>といった、比較的わかりやすい特性だけを取り出して『ASDなんだから』『ADHDだし』と、困り感を一言で表すことはできません。

仮に診断名が同じであっても、特性の表れ方や濃淡には差がありますし、元となる性格の違い、見落とされがちですが、成育歴や取り巻く環境によっても本人の困り感、周りの困り感の表れ方が違うからです。

発達障害の中には、息子のように視覚機能に弱さがあるケースも非常に多く見られます。視力も数ある視覚機能の一つですが、視覚機能は視力だけを指すのではなく、

  • 眼球運動や両眼の使い方、それを調節する【入力機能】。
  • 視覚情報を記憶、認知したり想像する【処理機能/視覚認知】。
  • 見たものを体と協調させる【出力機能】。

があり、これらをまとめて【視覚機能】と呼びます。

視覚機能の“入力系”に弱さがあると、

  • 読むのにかなり時間がかかる。
  • 本を読む時に文字や行を読み飛ばしてしまう。
  • 読んでいるところがわからなくなる。
  • 板書を写すことに時間がかかる。
  • キャッチボールや球技が苦手。

“処理系”に弱さがあると、

  • 漢字やひらがなを覚えることが苦手。
  • 同じ間違いや反転文字(鏡文字)が多い。
  • 身振り手振りを真似することが苦手。

眼球運動機能や空間認知もこの能力に関係しています。

“出力系”に弱さがあると、

  • 細かい手作業が苦手。
  • スポーツが苦手(球技、縄跳び、跳び箱など)。

いろいろな場面で<不器用>という形で困り感が表れます。

視力だけが良くても、目で見た情報を処理する機能が上手く働かなければ、脳でその情報を処理できず体が動けなくなってしまいます。不器用さは手先指先だけのことと思われがちですが、実は視覚機能と深い関係があるのです。

次から次へと山のように困り感が噴出中の息子を例にすると、彼は学力に大きな問題がないにも関わらず、

●板書を写すこと。
●文字の大きさを揃えてバランスよく書くこと。
●スポーツ全般、特に球技。
●自転車に乗ること(乗れることは乗れます)。
●よく物を失くし見つけられない。
●紐を蝶結びしたり、ビニール袋を丸めて片結び。
●(服などの)ボタンを留める。
●工作や裁縫。

など多くのことに困り感があります。本人の自己理解や障害受容がまだまだのため、困り感といっても実際には本人はどこ吹く風の状態で、専ら私を含め、周りが支援だ、トレーニングだ、自己理解だ、と対応策に追われているのが実情です。

学校生活を送る彼の、視覚機能で一番の課題は“眼球運動”です。人は誰でも【眼球運動(情報入力)→ 視空間認知(情報処理)】という過程を辿りますが、眼球運動に弱さがあると、かなり生活に影響が出てきます。

この“眼球運動”には追従、跳躍とあり、追従はゆっくりめに眼球を動かす運動、跳躍は素早く眼球を動かす運動です。例えば、“右(左)から左(右)へ向け、ゆっくり移動させる指先を顔を動かさず目だけ(視点)で追う”は追従、“両手を広げて左右の指を一本立て、その間を顔を動かさず目(視点)だけで素早く移動させる”は跳躍、になります。

息子は追従運動にはさほど苦手ではありませんが、跳躍運動には問題を抱えており、ビジョントレーニングを継続していますが、頭痛まで加わりかなり疲れるようです。

視覚機能のチェックポイントの“入力系”“処理系”を見ていくと、幾つかの特徴があります。これはあくまで学校生活から見たチェックポイントになりますが、大人でも当てはまる部分があるので参考までに。

〜入力系〜
▷文字を読むのに時間がかかる。
▷読んでいるところがわからなくなる。
▷読む時に文字や行を読み飛ばしてしまう。
▷ボールの受け取りがとても苦手。
▷作業時に忙しなく視線を動かす。
▷板書や文字の書き写し(辞書を見ながらノートを写すなど)に時間がかかる。
▷図形が苦手。
〜処理系〜
▷左右を間違えやすい。
▷ひらがなや漢字を覚えることが苦手、同じ間違いや反転文字(鏡文字)が多い。
▷目で見て動き(体操、ダンス)を真似ることがとても苦手、あるいはできない。

『学校の勉強、全然できなくて・・・頭悪かったもんなぁ』が、知的な問題ではなく、実は視覚機能に何らかの弱さがあったのかもしれません。

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全3回:息子を例に発達障害を考える【3】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

最終回の【3】では、軽く視知覚認知機能や視空間認知機能に触れながら、それらの弱さからくる困り感を、日常起こりやすい事例を交えながらお話します。

彼らは無意識に物を置きますが、次々に物を重ね置き、無秩序にあちこち置くので、下にあった物が埋もれ見えなくなります。

その見えなくなった物は【ない】もしくは【失くなった】になります。

例えば消しゴムの上にポイッと請求書、その上に読みかけの本、その上に脱いだ服といった具合です。こうなると、消しゴムはもちろん、請求書も読みかけの本も忘却の彼方へスッポリと抜け去ってしまいます。

ASDは散らかった中から必要な消しゴムをすぐに取り出せても、ADHDは消しゴムを探し出すことはできません。なぜなら『失くなった』(視界から消えた)からです。引っ掻き回して消しゴムを探すうちに、読みかけの本を見つけて読み始め、本来の“消しゴムを探す”目的はスッポリ抜け落ち、これまた忘却の彼方へ・・・。これは『ADHDあるある』のようです。

散らかっているという認識が薄い時は、自分にそのような無意識に思い込みや視知覚認知フィルターがかかっている状態なので、肉眼ではなくデジタルカメラやタブレットで撮影し、それを通して見ることで自分本意な視知覚認知フィルターを外し、多少客観的に見ることができます。画像データを通して客観的視点で見てみる、という感じでしょうか。

頑張って片付けた時に、部屋の全体像や片付けた場所、片付け方を撮り、それを見える場所に貼って見本にしながら片付けるやり方も効果があります。

話は戻りますが、【2】で息子の独特な認知特性が人間関係の躓きを生んでいるという話をしましたが、学習面における困り感の原因のひとつである視知覚認知についてお話します。

視知覚認知機能とは私たちが普段<見える、見えない、目が遠い>と言っている視力のことではなく、

見 る 力 】

のことで、

  • ふたつの目が負担なく機能しているか?
  • 見るものを正しく目で捉えられているか?
  • 目の動きに無理はないか?
  • 目から入った情報を正しく認識、処理、出力(書く、読む、写す、四肢を動かす)できているか?

などの機能です。これに目からの情報を処理して空間全体をイメージする機能、視空間認知が加わります。この視知覚認知機能に不具合があると、

・文字を読むのに時間がかかる。
・字が覚えられない。
・左右認識が苦手。
・探し物を見つけられない。
・長時間集中して作業できない。
・本を読むのに、行を飛ばしたり同じ場所を読む。
・図形理解が苦手。
・板書を写せない。
・ケアレスミスが多い。
・手足の連動を必要とする運動が苦手。
(キャッチボール、自転車、テニス、縄跳びなど)
・手先が不器用で、手先を使う作業が上手くできない。
(折り紙、コンパス、裁縫作業など)
・服のボタンのかけ違いが多い。
・不注意であちこちにぶつけたり挟む。
・よくつまずく。

などといった、ADHDの“不注意”からくる特徴にも被る困り感が表れます。

視覚なのに運動?と思いますよね。視覚と身体感覚には深い関係があり、手足の連動にも大きく関わってくるのです。

また視空間認知は

・形や色の認識。
・形や方向に関係なく同じ形を「同じ」と把握できる。
・対象にするものと背景の区別。
・対象にするものとの距離を測る。

といった機能です。

これに加え、発達障害では発達性協調運動障害というものもあり、微細運動(はみ出さずに塗り絵をする、コンパスを上手に使う、箸を上手く使う)や、粗大運動(スキップや跳び箱、大縄跳び)に問題を持つケースも多く見られます。ザックリ言うと、

とても不器用で大雑把、動作が雑

に見えます。実際息子はしょっちゅう物を落としたり、コップやお椀をひっくり返しますし、一つ一つの動作が雑で、脱いだ衣類をきちんとハンガーに掛けることや畳むことも苦手です。またADHDには脳機能の中にある実行機能と報酬系という部分の機能低下が見られるので、先送りグセやマルチタスクが苦手という特徴で表れます。

実行機能とは、

  • 行動を分析、組み立て、優先順位をつけて遂行する能力。
  • 一時的に記憶を保持しながら他の作業をおこなう(ワーキングメモリー)。
  • 感情がモチベーション、覚醒の自己調整能力。
  • 他者との会話の内在化

です。これらの機能低下で行動制御に不具合が起こり、結果、

何から行動すればよいのかわからなくなり、順序立てた行動が取れず、すぐに取り掛かれない。

記憶(情報)を保持しながら他の作業ができないことで、他に注意が向くと前のことを忘れてしまうといった症状が表れる(消しゴムの例)。

感情のコントロールが難しく、イライラ感を持ちやすく爆発しやすかったり、思ったことをすぐに口に(行動に移す)出してしまうなどの症状としても表れる。

報酬系とは、

満足感、充実感や達成感を得る系で、この働きの低下で充足感が不十分になり、報酬の強化が十分におこなわれず、衝動的な行動や注意を拡散し、気を紛らわせるなどの代償行動として、多動性や不注意が表れる。

この、神経伝達物質ドーパミンとノルアドレナリンが関わる部分に対しては薬物療法が有効とされ、息子も何種類かの薬を服用しています。

これは飽くまでも息子の本人談ですが、薬効について聞き取りをしたところ、服薬するしないでは“集中や衝動性”には自覚できる大きな変化があるそうです。ただ、不注意にはあまり変化がなかったようでした。

主治医の判断と、作用副作用の出現の仕方も個人差が大きく、薬が万能というわけではありません。やはり、どのような薬であっても服用に関しては個々が慎重に考えるべきだと思っていますので、あえて服用中の薬の内容については言及を避けます。

避けたくて避けても生活に影響がない困り感ならば、敢えて避けるというのもライフハックと言えますが、社会生活、日常生活に影響が出やすい困り感には、自分にマッチした対応策があるとQOLにも大きく関わってきます。

そのためには苦手や困り感に目を向け、必要とあらば適切な医療機関の受診、関係機関との連携を取り、自分に合った対応策を考えていく(一緒に考えてもらう)ことが大切だと思っています。

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全3回:息子を例に発達障害を考える【2】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【1】に引き続き【2】となる今回は、生きづらさやさまざまな困り感が生活、学校でどのように表れ、その原因は何なのか、どう対応していっているのかをお話していきたいと思います。

息子には小学校高学年から徐々に特徴が表れてきましたが、大きく分けると認知、視知覚認知からで至るところで細々と重なり合った困り感として表れました。

まず認知面ですが、「友達に気に入らないことを強く言われた」と泣いて帰り、時間をかけ聞き取りをしていくと、端々で独特の捉え方をしていることや傷つきやすさを持っていることがわかりました。ASDにありがちな“前後の文脈に関係なく言葉の字面そのものを受け取る”“思い込みが強く修正が利かない”ところからです。

「掃除時間にふざけている人がいたから班長として注意した。そしたら、笑いながら『バッカじゃねーの、うぜー!』と言われた。」「僕は間違ったことはしていないしバカじゃない。お母さんも人にバカなんて言っちゃいけないって僕に言ったよね?僕『バッカじゃねーの』って言われた。とても傷ついた、これはイジメだと思う!」この翌日、登校渋りになりました。

確かに人に向かって「バカ」「うぜー」は意識的にせよ無意識的せよ、どちらでも良くはないと思います。でも、そんなに深く傷つき重たく捉えることなのか?と疑問に思う私がいるのは確かです。

画像はイメージです。

ここは本人の性格だと思いますが、サラッと「ちゃんと掃除やらないといけないよー」ではなく、結構強く言ったらしいのです。クソ真面目で自分なりのマイルール“だけ”は守ろうとし、そこから外れるのはどうにもこうにも認められない、

許せないというASDの特徴と、思ったことを思ったまま後先考えず且つ我慢できず口に出してしまうADHDの衝動性の両方の特徴

が表れています。

小学6年にもなると、言い方やタイミングを考えなければ『いい子ぶりやがって』と受け取られ、「バッカじゃねーの、うぜー!」と反発を喰らうと思います。こんなことばかりが学校生活で起こると、当然クラスメイトからは『面倒なヤツ』と思われ距離を置かれたり、クラスでの居心地が悪くなるのもわかります。

何度「正義が王道とは限らない。いくら正しいことを言っても、タイミングや言い方を間違えば反発を喰らい嫌われてしまう。そうなると自分の居心地も悪くなるんだよ」と話しても、残念ながら今のところまったく入りません。人の間違いに対しては、思ったことを思ったタイミングで言葉を選ばず(選べず)キリッ!と強く指摘し、思ったとおりの反応がなかったり反発されると「傷ついた」「嫌なことを言われた」そして「学校行きたくない」になってしまいます。多い時はこれが毎朝です。

明るく元気で成績も良く、素行にも問題なし、率先して手伝いもするし、できるできないはともかく何事にもクソ真面目に取り組み、困ったらすぐに先生に相談という姿勢は、先生達の評価は高くても、係などに立候補するだけしておいて、その係の仕事はサボり気味(ADHD特有の飽きっぽさ)でペアの児童に負担をかけまくり、そのくせ『すぐに先生に言いつける』『偉そうに注意する』『話をしていると割って入り、話したいことだけ話して人の話は聞かない』、これでは自分勝手極まりなく映るのは当たり前で、クラスメイトには嫌われやすいですし、遠巻きにされます。

これが独特の認知面から人間関係の拗れやぶつかりとして表れました。書き切れないほど多くのエピソードがあり、『そうきたか!』と驚きの日々です。

一度失敗(傷つき体験)すると、似た場面から全力で逃げようとするので(自分の心を守る防御反応でもありますが)、“振り返りからの反省”に上手く結び付けることができません。起こった出来事を繋がりではなく『嫌なことがあった、嫌なことを言われた』の一部だけを取り出し、ネガティブメモリーとして残るからで、これはASD独特の認知特性とも言えます。

それに加えて息子がややこしいのは、

ADHDも重複していることで、起こった出来事の嫌な部分だけは残るのに(ASD)、すぐに忘れて反省できない(ADHD)が重なり、対応がとても取りづらくなっている

のが現実です。

話は逸れますが、【散らかった部屋】を例にASDとADHDの違いを見てみましょう。

ASDには、キチッとラベリングして整然と片付けるタイプと、あちこちに物を置き一見散らかっているように見えるタイプがいるのですが、後者のタイプでも「どこに何があるか」は本人がちゃんと把握しており、片付けをしようと他者が勝手に物を動かすことをとても嫌います。自分なりの使いやすさやルールに則って置いてあるからで、無秩序に見えて実は彼らなりの秩序があるからなのです。

ADHDは、ただただとっ散らかします(笑)まるで、整理整頓という概念が備わっていないかのような無秩序&無秩序な散らかりようで、解決するには究極のミニマリストとして生きるか、自ら暮らしやすいライフハックを身に付けるか、親元で生活するか、お世話が気にならない面倒見のよいパートナーに恵まれるか・・・でないと、“瞬く間に物が消えるのに散らかりまくったカオスな空間”の住人になってしまいます。

なぜ片付けられないのか?は不注意や衝動性だけではなく、視知覚認知も関わってきます。

次の【3】では、軽く視知覚認知、視空間認知についての説明と視知覚認知機能、視空間認知機能がどのような形で日常動作に影響を及ぼし、どのような困り感を生んでいるのかなどをお話します。

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全3回:息子を例に発達障害を考える【1】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

コラムにも何度か出ていますが、中学1年の息子は発達障害のASD+ADHDの重複ケースです。

今回は息子を例に、ASD、ADHD単体で語られがちな発達障害ですが、発達障害の半数が重複だと言われている中で、重複だとどのようなことが起こってきたのかを、生育歴ベースの【1】、家庭生活・学校生活の【2】、困り感を生んでいる要因の【3】に分けてお話ししようと思います。

2歳前後、クレーン現象(※)と思われる動作やミニカーをやたら並べたがるところから私の違和感が始まりました。息子は普通の保育園、幼稚園ではなく、インターナショナルスクールから集団生活をスタートしてから普通の保育園だったのですが、一度も後追いすることなく、親子とも日本語禁止のかなり特殊な環境からスタートしたにも関わらず、集団生活にもすぐに馴染み、食べ物の好き嫌いはまったくなく、友達関係でトラブルを起こすこともありませんでした。連れ去られるのでは?と思うほど人懐っこく、まったく人見知りしなかったことも違和感でした。

※クレーン現象:子供が何かしてほしい時、相手の手を持って、その何かを達成しようとする動作。

日本語より先に英語が出ましたが、乳児〜追視できるようになってからはベビーサインを使っていたことも理由か、日本語発音は多少遅かったようです。出始めると怒涛の煩しさになりましたが・・・。

生後すぐから4歳になる前までに済ませる数々の健康診査、その度に保健師や小児科医に上手く伝わらない違和感と不器用さを訴えてきましたが、「お母さん気にし過ぎ」「初めてのお子さんだから神経質になってませんか、もっとおおらかにいきましょう」とスルーされてきました。

今思えば、4歳の時点でWPPSI-III(ウィプシ・スリー)をお願いすればよかったと思っています。もちろん就学前検診でも一応訴えてはみたのですが、やはり予想どおりスルーされました。

そして無事に小学校入学、その後転校するもすぐに馴染み、幸い成績もとても良かったこともあり「あの違和感は気のせいだったのか?」と思い始めた3年生の時、私から見える子供の困り感が、家庭より先に学校生活で表れるようになってきました。

まず気付いたのは、並外れた不器用さや動作の雑さ、字の汚さ、服のボタン掛けに時間が掛かり嫌がる、折り紙は角を合わせて上手く折ることができない、線に沿ってハサミで切れない、糊が手につく(手が汚れる)ことを異常に嫌がる、蝶結びができない、ランドセルの中が常にカオス・・・でした。

2年生までは時間割を見ながら一緒に学校の準備をし、やり方を教えていたのですが、3年生になって見守り側になった途端、忘れ物も増えランドセルの中はカオスです。

学校から配布されるあらゆるプリントは蛇腹状になり、ランドセルの底に追いやられ、家や学校に毎日何か忘れていました。挙げ句、忘れ物キングというありがたくない称号までもらってくる始末です。

画像はイメージです。

そして恐れていた友達関係のトラブルが起きるようになったのが4年生です。苗字をもじったあだ名にネガティブな反応をした息子が泣きながら帰宅、それ以降似たことが続き、スクールカウンセラーに話をしても埒があかないので、発達障害専門の児童精神科に育児観察日誌と本人を連れて駆け込み、育児生育歴を聞き取り、CBCL、WISC Ⅳ、数度にわたる行動観察などから、ASD、ADHDの発達障害重複と確定診断が下りました。

この時ほどホッとしたことはありません。

ほとんどの保護者は、最初「子供に発達の偏りがある、障害があるかもしれない、障害児です」という現実を受け入れるどころか受け止めることすら出来ず、気持ちが荒れることがほとんどだそうです。長く違和感を抱えてきた私にはまるで天の声で、点と点だったあらゆる違和感が線で繋がり、心から安心しました。

もとより、発達“障害”はバランスの問題で

“個々の違い”

という認識を持っていたことも大きいかもしれません。

苦手がわかれば対策が取れる、私が子供をしっかり理解すれば二次障害を防ぎ適切な対応ができる、私で足りない知識や経験は今から勉強すればいい、あとは専門機関の助けを借りよう、そう考え、周辺支援や環境整備など何もわからないゼロから児童相談所や教育相談所、自治体の支援課や保健所と連携を取り始めました。

成績は良く、他害行動や癇癪がまったくない息子は通常クラスに在籍、情緒級への通級が適切ではないかと考え、主治医の診断書に意見書と心理所見まで添えて学校側と話をすることにしたのですが、これがまた長い苦難の幕開けとなりました。

専門医による十分な資料が揃っているにも関わらず、当時の校長が「お母さん、男の子なんてみんなそんなもんです。そんな子供たちも無事に卒業して、ちゃんと中学校へ行けてるんだから大丈夫!小さいことは気にしない、気にしない!え?心理所見?検査データ?いやぁ、わからないなぁ、専門家じゃないし」という、まさに無知からくる無理解のズレっズレな考えの持ち主だったことで、スムーズに行けば年に二回ある教育委員会支援判定員による学校生活観察、教育委員会での通級適不適会議に上げ、最短で通級に繋げられるはずが、まったく進まない事態に陥りました。

画像はイメージです。

早ければ早いほうが良い療育、成長著しい子供にとって1年を無駄にしないために、また冒頭にも書いた二次障害を防ぐために、児童相談所を巻き込みパイプとなってもらい、何度も何度も校長面談を重ね交渉にあたり、時には激しいやり取りもおこなわれました。

通級するには保護者側からの通級希望申し出→校長承認の後、校長が教育委員会との窓口になり教育委員会から判定員来校し、判定会議に上げられ、適不適が判定されます。

年二回しかない判定会議なので、なかなか長い道のりです。実際、ようやく校内情緒級に通級できるようになったのは、子供が6年生になってから(校長が定年退職し後任の校長に変わってからで、それがなければ小学生のうちに情緒級には通級できなかったかもしれません)。既に5年生からは登校渋りが出始め、不登校に移行するのは時間の問題と思われました。その時は相談のため私が毎日学校に“登校”している状態でした。

当時の通級担任は長い経験があり、今までの困り感や生きづらさに悩む子供と、それを一人で支える私への理解が早かったことと、常時校内にいるため学校生活で起こるツラさや困り感があると、すぐに子供ともども対応してもらえたので、学業不振にも完全不登校にもならず、無事に卒業にこぎ着けました。

進学した中学校には情緒級がないため、今は近隣の他校にある情緒級に通級しながら普通級在籍です(中学校すべてに情緒級があるわけではない)。少しでも多い療育の機会を、と各関係機関にも密に関わってもらい表面化する課題に対応しながらSST(ソーシャルスキル・トレーニング)に取り組んでいます。

現在、県立、都立高校への支援級設置の積極的な動きがあるので、子供が高校生になる頃には公立高校すべてとまでいかないにしろ、今より支援級が設置されていると思います。

次回【2】では、複雑に表れる発達障害重複について、家庭生活、学校生活でどのようなことが、何が原因で起こっているのかをお話したいと思います。

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発達障害【ADHD】の困り感〜大人編〜

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

子供編に続きADHDを持つ人が成長し、大人になった時に、どのような困り感が表れやすいのか“生活”と“仕事”から見ていきます。

【多動性】【不注意】【衝動性】のうち、行動としての多動は貧乏揺すり程度に落ち着く人が多いのですが、個人差はあるものの、不注意、衝動性は残ります。

行動面の多動性は落ち着いても、頭の中にいろいろな考えが次々に浮かび、忙しなく落ち着かないという、脳内の多動や散らかりは残る人が多いようです。

【生活面での困り感】

  • うっかりが多い。
  • ゴミを出せない。
  • 公共料金を払い忘れる。
  • 忘れ物が多く、すぐに物を失くす。
  • 段取りが悪く、部屋が片付かない。
  • 約束の時間を忘れたり、しょっちゅう遅刻してトラブルになる。
  • 人の話を聞かない。
  • 人の話を遮って話をしてしまう。
  • 待つことが苦手でイライライしやすい。
  • 衝動買いが止められない。
  • 欲求が我慢できないのでいろいろな依存症に陥りやすい(実際、ギャンブル依存症やインターネット・ゲーム依存はとても多い)。
  • 目先の興味関心がコロコロ変わり、どれも長続きしない。
画像はイメージです。

【仕事面での困り感】

  • 提出書類が間に合わない。
  • 遅刻が多い。
  • 忘れ物が多く、重要な物を忘れたり失くしたりする。
  • 仕事に集中できず、指示を聞き漏らす。
  • ミスが多い。
  • ぼんやりする。
  • いくつもの指示だと忘れる。
  • 机やロッカーが片付けられない。
  • 電話を受けながらメモが取れない。
  • アポイントなどを忘れる。
  • 最後まで話を聞かず、取り掛かりミスをする。
  • メモを取っても忘れる。メモを取ったことすらも忘れる。
  • 焦ると余計にミスが増える。
  • 勝手にやり方を変える。
  • 思ったことをすぐに口に出す。
  • 誤字脱字が多い。
  • 仕事の優先順位がつけられない。
  • 単純作業に集中が続かない。
  • 計画を立てて仕事ができない。
  • 報告・連絡・相談ができない。
  • アドバイスなのか指示なのかがわからない。
  • 時間の使い方がわからない。
画像はイメージです。

子供の頃とは違い、シングルタスクや独特の時間感覚で困り感が増えてきます。

まずは自分の苦手(不得手)はどこなのかを知ることからがスタートです。知ることでできる対策も多くあります。

ADHD当事者ができる対策、職場ができる対策は後日改めて書きたいと思います。

2019年のコラムはこれで終わります。今年の夏から書き始めたコラムですが、ご愛読いただきましてありがとうございました。

来年は1月10日金曜日から毎月5の倍数日にコラムを掲載していきますので、引き続きご愛読のほどよろしくお願いいたします。それでは良いお年を。

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発達障害【ADHD】の困り感〜子供編〜

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

何度かシリーズでもお話している【発達障害】ですが、今回はADHDについて、主に学校生活で表れる困り感についてお話したいと思います。

足が不自由で引き摺りがある、目が見えないから白杖を持つ、などいわゆる目で見てわかる肢体不自由の人に比べ、パッと見てすぐにわからないのが発達障害です。

それゆえ、多動で立ち歩きがあり教室から脱走する、片付けられない、癇癪を起こすなどわかりやすい行動が表れていなければ、本人はもちろん、保護者や学校側もわかりづらいことが多く、中には強引に「何がなんでも全部個性」と言い張る保護者もいます。脳の偏りもまた個性と言えなくもないのでそれはいいのですが、いずれ本人が困り感を自覚した時に苦しむのは子供自身です。

まず以前コラムにも書いたことをおさらいします。ADHDの主な特徴は、

【多動性】【不注意】【衝動性】

の3つです。

●多動性:落ち着きがなく、じっとしていることができない。

●不注意:自分の興味関心がない物事に集中できず、忘れやすい。

●衝動性:唐突に思いつきの行動をとる、順番待ちが苦手。

などですが、これらの特徴とその程度は個人差が大きく、環境や関わりを持つ相手によっても差が見られるので、家庭と学校では様子が異なることもあります。

また、ADHD、ASDに共通する特性や行動もあるので、次に示す行動があるからといってADHDとは限りませんし、ADHDとASDを重複しているケースも多いことを先にお断りしておきます。

ADHDの行動には“気付かれやすい行動”と“気付かれにくい行動”があります。

<気付かれやすい行動>
【多動性】【衝動性】からくる行動で、友人関係のトラブルが中心、周囲を巻き込み大きな問題へ発展することがあるので気付かれやすい。

<気付かれにくい行動>
【不注意】からくる行動で、忘れ物が多く成績不振など、本人や保護者だけが困ることが多く、周囲に迷惑をかけることが比較的少ないため見過ごされやすい。

この、<気付かれやすい行動><気付かれにくい行動>が学校生活でどのような形で見受けられるのかを具体的に見てみましょう。

=気付かれやすいADHDの行動=

【多動性による行動例】

  • 席にじっと座っていられず、常にそわそわしている。
  • おしゃべりが止められない。
  • 意味もなく手足を動かす。
  • 静かにしていなければいけない場面で走り回ったり騒ぐ。
  • 集団行動ができない。

【衝動性による行動例】

  • 感情のコントロールができない。
  • 順番を持てず列に割り込む。
  • 些細なことで大声を出したり暴れる。
  • 勝手に話を始めたり、他の子への質問に答えてしまう。
  • 他の子の邪魔をしたり、ちょっかいを出してケンカになる。
  • 他の子の持ち物に勝手に触ったり、持って行ってしまいトラブルになる。

=気付かれにくいADHDの行動=

【不注意からくる行動例】

  • 学習用具などを机から落としやすい。
  • 興味関心が低いことは忘れてしまう。
  • 忘れ物が多い。
  • 字が汚い。
  • 机の中やランドセル、身の回りの整理整頓ができない。
  • 他の子より、よく怪我をする。
  • 教科により集中できない。
  • 文章を飛ばして読んだり、自分の思い込みで読む。
  • 指示の聞き漏らしがあるので行動が遅れる。
  • 好きな教科と嫌いな教科で意欲の差が激しい。
  • 課題や活動を順序立てておこなうことが困難。
  • テストで似た問題でも点数のバラつきが激しい。
  • 友達との約束を忘れたり約束が重複してしまう。
  • 話しかけても上の空に見える。

【その他の行動例】

  • 姿勢が崩れやすい。
  • 一人で遊んでいることが多い。
  • 友達に避けられている。
  • 日中眠そうにしている。
  • 後回しにするクセ(先送りグセ)がある。
  • 手先が極端に不器用。
  • 気持ちの切り替えがうまくいかない。
  • 知的な遅れはないのに成績が悪い。
  • 好きなことには時間をかけて取り組める。
  • 複雑な運動が苦手で、鉄棒や縄跳び、跳び箱などの上達に時間がかかる。

などがあります。

それでは不注意優勢(気付かれにくいADHDの行動)の場合、子供の学校生活ではさまざまな困り感がどのような場面で、どのように起こるのかを一日の時系列で具体的に見ていきます。

登校時:目にするいろいろなものに意識がいくため、集団の列から外れやすい、周りに注意を払わず歩くため、自転車や人と接触しがち、転びやすい。

朝会:遅刻が多い、眠そう、先生が来る前に他の子とトラブルを起こしている。

授業中:よく物を落とす、教科書や必要なものを頻繁に忘れる。座姿勢が悪い、関係ないおしゃべりが止められず注意される、指示を聞き漏らし行動が遅れ、周りの様子を見てから行動する、単純な計算は得意だがケアレスミスが多い、文章を読んで解く教科は苦手、板書に時間がかかる。

給食:おしゃべりが止められないかボーッとしていて時間内に食べ終わらない。

休み時間:休み時間が終わっても教室にいない、次の授業の準備ができていない。

体育や図工など身体を動かしたり作業する授業:説明を聞いていないため、怪我や失敗が度々起こる、計画を立てて作業ができないため最後まで終わらない、好きなことには集中して取り組むので時間がきても止められない。

掃除:掃除道具を振り回してふざけたり、いろんな場面で雑なので物を壊したりする。

友人関係:他者の話をよく聞いていないため、思いつきで関係ない話をしたり行動する、集団行動ができず孤立しがち、約束を忘れてトラブルになる。

不注意だけでも学校生活がかなり大変そうに見えます。3つの特徴(多動性・不注意・衝動性)をそれぞれの割合で併せ持っているケースがほとんどなので、年齢に沿って至るところでさまざまな困り感が表れてきます。また、行動の多動性は大人になると薄くなる傾向にありますが、行動に表れない見えない脳内での多動は残る人も多いようです。

本人に悪気はなく、気をつけよう、頑張ろうと思ってもできないことがあるのが“障害”で、他者との違いに気付き比較する年齢になった時に、困り感や生きづらさを本人が感じるようになります。

ちなみに、中学1年の息子が確定診断を受けたのは小学4年ですが、それまでは私の違和感や困り感はあっても本人の困り感はあまりなかったようで、息子本人が『何かいろいろうまくいかない』と気付いたのは小学5年、そこからさまざまな場面で学校生活に生きづらさを感じることが多くなったそうです。

このさまざまな場面に表れる行動特性は、人により表れ方も濃さも違い、また、視覚認知に問題を抱えるケースもあるため、対策の取り方も少しずつ変わってきます。

息子を例にとると、書字の苦手さや字のバランスの悪さは、不注意と同時に視知覚認知機能の“目と手の協応”と、眼球運動が大きく関わっており、わかりやすい不注意部分だけの対策を取っても、本人の困り感解決にあまり有効的ではありませんでした。

視知覚認知や眼球運動に問題があると、学習効果が思ったように表れず成績が振るわない・・・ということが起こります。視知覚認知や眼球運動とはどのようなもので、それにより何がわかるのかなどは、視覚認知でお話ししたいと思います。

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