終わりの始まり【職場篇】

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、本城ハルのコラムで『終わりの始まり』を掲載しました。主に恋愛関係を軸にコラムを展開していましたが、職場においても似たようなことはあると考えます。

不安、不満、不信は職場環境でも大いにあり得ることだと、私自身、実感してきた一人だからです。新入社員として、あるいは転職先で、この不安、不満、不信を経験しました。

最初から上司と距離があったわけではありませんでした。むしろ新しい職場環境に希望を持ち、モチベーションも高かった気がします。いい上司に恵まれた、と思っていたぐらいです。とは言っても私の場合、大企業ではなかったので上司といってもつまりは社長でした。

職場の場合、恋愛における価値観とは違い、上司(社長)としての人間性がモロに不安を駆り立て、不満に移行し、不信に陥る、という経過を辿ると思います。ここで誤解してはいけないのは、上司(社長)個人の人間性ではない、ということです。仕事における姿勢や責任であったり、人の上に立つ者の言動であったり、そういう意味での人間性です。

  • トラブル回避の手段を講じる。
  • トラブルが起きた時に、どのように解決するか。
  • 価値観を擦り合わせ、互いの納得に近い着地点を模索する。

企業規模はさまざまですが、少なくとも見栄を張ることなくトラブル内容を正直に話してくれたほうが、従業員に一時的に不安は与えてしまっても不満と不信は予防できると思います。不安のうちは皆で解決しようという新たなモチベーションを生む可能性があります。それが不満に移行してしまうと「やってられない」という気持ちが強くなり、モチベーションには繋がりにくくなります。不信になると、従業員の耳には何を言ってももう何も入ることはなく、見切りをつけて早く転職しよう、という気持ちしかなくなります。

このように、企業の中での【終わりの始まり】は、従業員に見放されることです。当然離職率は高いでしょう。業績以外の不安、例えばチームがバラバラであることも不安材料と言えます。その不安材料をまずは従業員あるいはチーム全員と共有できるかどうか、その上でどうすればいいのかまで話し合う、上司やリーダーにとってはとても勇気が必要だし、ハードルは高いと思いますが、それができるかできないか、で【終わりの始まり】を回避できるかどうかにかかっている気がするのです。

職場において従業員の価値観の擦り合わせまでする必要はないと思います。ただ問題の解決には、共有と話し合いは必要不可欠だろうと思います。リーダーだけ、上司だけ頑張っても限界はあり、間違えれば従業員やチームの不満、不信に繋がるリスクを生じかねません。

不満の数ではありませんが、不満しか出なくなればそのチームや組織の終わりは近いと言えるのではないかと思うのです。

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終わりの始まり

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

友人関係でも夫婦関係でもなく、当たり前に親子関係でもない恋愛関係。その中で恋愛は一番不安定な人間関係ではないでしょうか。

恋愛関係も友人関係も物理的距離“だけ”が原因で壊れることはあまりないと思っています。不安不満不信など原因はともかく、自分の中で相手に対し“どう感じたら”、“どんな感情を持ったら”終わりの始まり・・・なのかはわざわざ意識しないだけで誰もが薄々気づいているのではないか?と思うのです。

ウキウキルンルンなスタートしたばかりの恋人同士は相手に多少「?」を感じても、目の前にいる恋人の“存分に自分フィルターがかかった状態”で都合の良い部分しか見えていません。

人間関係を持続するために擦り合わせたり乗り越えていかなくてはいけない、目の前の立ちはだかる“価値観”という壁に、まだ本格的に向き合う機会がないからとも言えます。あるいは本格的に向き合うだけの関係にまだ成熟していないと言えるかもしれません。

よく3週間3ヶ月3年と言われますが、3週間はともかく、この“3ヶ月”説は3ヶ月3年過ごす中では、二人の間で何らかのトラブルが起きたり、“譲れない”価値観の違いが露呈していくからではないでしょうか。

  • トラブル回避の手段を講じる。
  • トラブルが起きた時に、どのように解決するか。
  • 価値観を擦り合わせ、互いの納得に近い着地点を模索する。

どれも高いソーシャルスキルとコミュニケーションスキルを必要とします。しかも、いちいち言葉にせず“察する”ことも要求されるという高難度です。

どちらか一方がこの能力が高くても残念ながら長続きしません。恋愛は一人では絶対に不可能だからです。我慢に我慢を重ねての長続き、はあり得ますが・・・。

最良なのは、二人ともがスキルを持ち合わせていることですが、世の中、そうそう上手くいかないものです。

どちらかが、もしくは両者が「自分は間違っていない!悪いのは全部相手だ!」という気持ちを持つと、どんな小さなことでもそこから綻びが生まれ、同時に不満も生まれます。これはあらゆる人間関係に言えることだと思います。

コラムでも何度か書いていますが、人はいきなり不信にはならないもので、不安→不満→不信という過程を辿ります。

パートナーと「相手の気に入らないところの数を数えるようになったら終わりに近いだろうね」と話をしていました。もちろん細〜い見えない糸でのみ繋がっていた修羅場三昧の危うい氷河期が私たちにもあり、その時はお互いに気に入らないところだらけ(むしろ嫌なところしかない)だったと思いますが(笑)、今は「気に入らないところは特にないな」なので、なんとか無事に危機を脱したと言えます。

不満を不満のまま不信になるまで放置(逃避)した結果、相手の“気に入らない”数を数えるようになったら、どんな関係も終わりの始まりではないかと思うのです。

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溺れる者は藁をも掴む

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

新年明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年末年始は如何お過ごしでしたでしょうか。仕事初めがあった直後に雪で本日10日は3連休最後のお休み、少しホッとできた頃だろうな、と思います。一方でコロナ感染者が徐々に増えていて、まだまだ不安が払拭されない年明けとなりました。

歴史を振り返ると、疫病蔓延、飢饉、飢餓、ノストラダムス1999年世界滅亡論など、人々の不安を煽るような“何か”が起こるたびに怪しげな宗教家や占い師、祈祷師、胡散臭い預言者などが現れ人々の不安につけ込み、ますます不安を煽って混乱に陥れ、“救われる”、“正しい”と言われる道に導いたり導かなかったり、詐欺にも似たことを繰り返してきました。

『コロナ禍+ストレス社会』でもある現在も同じように不安、不満、不信が蔓延しやすい状況と言えます。将来不安(経済的、身体的)がなく、日々充実、十分な休養も取れている状態だと人は皆不安は極めて少なく、余裕を持って“その人らしく”過ごすことができます。

将来不安は随分前からこの国には蔓延しているように思います。雇用や年金、教育は働く人にとっては身近な問題として感じてきたのではないでしょうか。いつリストラに遭うかわからない、賃金が上がらない、でも社会保障費(給料から天引き)の負担は重くなるばかり。消費税も上がりました。年金も貰えたとしても暮らしていけるのか?教育もお金がかかり、結婚しても安心して子供を産み、育てることに躊躇してしまう・・・二人目なんてとんでもない。親の介護、自分が将来病気になったら医療費もかかる・・・などなど経済的な不安は高まるばかりです。

そこにコロナです。ただでさえ経済的不安が蔓延しているところに、このコロナは厳しい現実を突きつけました。この2年で経済的困窮者は明らかに増え、明日は我が身の状況です。

希望が見えにくい、まさに不安蔓延社会です。

このような不安が蔓延している現代社会は焦燥感からか(自己向上も?)、スピリチュアル系自己啓発セミナー、アルバイトのにわか占い師、ちょっとよくわからないカウンセラーに傾きがちに見えるように思われます。不安の内容や質は違っても、『不安』というメンタルにおいては、昔の飢饉や飢餓、疫病蔓延などで何かに救いを求める社会情勢とほぼ同じと言えるのではないでしょうか。

世の中にはスピリチュアルカンセラーや前世療法セラピスト、ただのアルバイトのにわか占い師、本をちょっぴり読んでデビューした〇〇カウンセラーが溢れ、石を投げればそれらの何かに当たりそうですが、人々は昔と同じように救い(?)を求めて右往左往しています。

スピリチュアルを完全否定はしませんが、ズブズブのスピリチュアル沼に首までハマって自分の人生をスピリチュアルやホニャララパワーに委ねてしまうのは、非常に勿体なく如何かと思うのです。

タイトルにある“溺れる者は藁をも掴む”に見えませんか?私には藁どころかビニールの切れっ端やマヨネーズのキャップにすらしがみつきそうな勢いにしか見えません。

現代は昔と違い科学が発達しています。科学的エビデンスをもってメンタルをケアすることが可能です。それは不安に溺れそうになったら、科学に裏付けされたメンタルケアに頼ることが可能ということです。病気の治療と同じように科学的対処法でメンタルをケアするという、昔にはなかった選択肢が現代にはあるのです。

「自分は人を見る目があるから絶対大丈夫!騙されるわけない!」と余裕でいる人ほど、妙な藁を掴んだり、助けてくれそうに見えて実は泥舟に乗っかってしまうのを散々見てきました。疑うことを知らないピュアな人だったのかもしれませんが・・・。

溺れそうな時に必死に藁を掴んでも、所詮藁なんて共に沈みます。静かに力を抜き、波に身を任せ、自力で浮かんでいるだけのほうが、まだ溺れずに済むかもしれません。科学的なメンタルのケアで静かな力の抜き方、波への身の任せ方、自力での浮かび方を身につけて、心しなやかに、そして軽やかにこの苦難をかわしていきたいですね。

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