パートナーはASD<連載③>:【アスペルガー受容編】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

連載①ではパートナーがアスペルガーである疑惑から、違和感を膨らませていく中でのエピソードや繰り返されるバトルを書き、連載②ではパートナーがアスペルガーであることから感情の交わし合いができず、カサンドラ状態に陥っていったことをエピソードを交えて書きました。

連載最終回となる今回は、パートナー本人に聞き取りをしながら、当時の荒れた気持ちからどのような経過を辿り、受容に至ったのかを書いていきたいと思います。

今だから聞けること、聞いてみたい当時の気持ちの移り変わりなど、本人に確認しながら書いていきたいと思います。

私がいきなりASDの書籍を送り付けたことから、パートナーの激しい拒絶が始まりました。以下は私がパートナーに聞き取った内容です。

——まずはその時(本を送った時)の感情や気持ちから聞いてみたい。

あれはまったく意味がわからなかった。嫌がらせかと。自分は健常者として当たり前のように生きてきたところに、突然『障害者』扱いされた。もう嫌悪感と拒絶感から憎悪一色になった。百歩譲って自分だけに対する“悪口”ならまだいいが、それを超え間接的に親への侮辱とも感じ、殺意すら覚えた。

——それで連絡を取り合えていなかった間、どうしていたか、その時の心境は?

親にはもちろん、友人にも話すには憎悪があまりにも激しく、しばらくうまく言葉にできない状態が続いた。自分の中で君への憎悪と殺意、ASDへの嫌悪と拒絶がグチャグチャになって、とても整理できる状態ではなかったから。
ある程度落ち着いた段階で、気晴らしによく飲みにいく店に行き、そこのコに話してみたら、あっけらかんと自分もASDだと言ってきた。拍子抜けしつつも、少し安心感を覚えた。そのコからはASDに対し肯定的な話を少し聞いたが、それでもまだ拒否感のほうが強かった。

——そのコと話した後も何も変化はないと?

とりあえず君への憎悪と殺意が少し和らいだ程度。受容なんてまったく考えられず、まだ程遠い状態。ただ店のコが言っていたことを確認するつもりで、君から送り付けられた本をパラパラ適当にめくり、“障害ではなく個性”という表現を見つけ『ふ〜ん』という印象はあった。
この時期は君からの電話はもちろんメールも一切返さず、ノーリアクションを貫いた。憎悪と殺意が再燃しかねないから。
2ヶ月ほど経つ頃には君からの連絡も来なくなり、自分の中では君との関係は終わっていて、少しホッとしていた。

——確かに途中から私も連絡をしないようにしていた。でもある時電話したら出てくれたのは?

メールではなく唐突に電話があったことと今までかかってきたことのない時間だったことから、どうもイヤな予感がした。別れ話とか、そういう類ではなくて、緊急事態のほうのイヤな予感。それでも電話に出るか躊躇したが、もし緊急事態なら人として無視するのはどうかという良心の呵責があって仕方なく出た。

——それからまた連絡が取れるようになった。

ただそれは二人の関係の修復ではなく、その緊急事態の対応策について飽くまでも“人として”話し合っている感覚。だから“元カノ”感覚で慈善事業みたいなものだった。その時には憎悪と殺意はもうなくなっていた。そのせいか『そういえば、こんなの送り付けてきたっけな』と、送り付けられた本を他人事のように軽く立ち読みする感覚で読んでみたりしていた。

——パラパラ読みから立ち読み程度でも読んでみたわけね。

雑誌感覚で他人事として。読んでみるとその中に書かれていた特性に自分に思い当たる部分があった。それを踏まえて、以前話をしていた店のコに改めて話をした。その時は愚痴としてではなく時事ネタのように話し、実際ASDでもあるそのコから肯定的なことをいろいろ聞けたことで、ASDについて考え方や見方が軟化した気がした。

——その後はどういう変化を辿った?

日が経つにつれ、誰がどうではなく、なにより親には一切責任がないことが最大の安心材料となり、ある意味冷静に自分がASDであるかどうかを自問自答するようになった。店のコとはその後もASDについてのやり取りは数回続き、いろいろと話す中で、気持ちに余裕ができたと言っていいかわからないが、ようやくASDについて詳しく知ってみるか・・・と思えるようになった。

それまでは私は『ASD』『アスペルガー』『発達障害』というワードはパートナーに対してNGにしており(自主規制)、会話の主たるものは緊急事態に対する対応策のままだった。

——2年以上経ってから、あなたからASDというワードを出してきた。思ってもみなかっただけに思わず耳を疑った。

そうだろう、自分でも自分から口にする時が来るなんて思ってもみなかった。ただ、たまたま君が素人ではなく臨床心理士という専門家だったことが大きい。身近な専門家として、ASDについて自分のどこを観て定型と言われる人と違うと思ったのかを聞いてみたくなった。

——私がもし臨床心理士でなかったら?

もちろん聞いてない。その場合、よく知っているのかもしれないが所詮素人だから。ましてや、そのへんにいる“ハッピーなんちゃらカウンセラー”とか、よくわからない認定証をいくつも並べ立てている“自称心理カウンセラー”なんて論外。エビデンスが極めて怪しく、胡散臭過ぎる。中途半端な知識で専門家風を装ったタチの悪い素人に過ぎない。だからASDがどういうものかなんて絶対わかりっこないだろうと・・・。
そういう点で客観的に考えた時、国立の研究機関にいて科学的なエビデンスと学問的・専門的知見があり、医療機関での実務経験もある臨床心理士という人が君だったことはラッキーだったと思う。

——なるほど(笑)それで定型と違うところを聞いて思ったことは?

確かに『なるほど』と思うところはあった。ただ、生きづらさを感じている人が多い、ということについては自分にはピンと来なかった。なぜなら、思い通りの生き方をしている人なんてほぼいないと思っているし、そもそも生きること自体が生きづらいもの、と思っていたから。
世の中は世知辛い、とか、人生は修行だ、という話も耳にするし・・・また仏教(特に浄土真宗)に興味を持ったことも重なって、自分だけが生きづらいのではなく、皆大なり小なり何らかの悩みを抱えながら生きづらさを感じて生きているものだろうと思っていた。

——なるほど。それで、そうした思いから受容したのはどのタイミングだった?

その前に今までと、今なお自分の身に起きる独特の現象について、改めて思い返してみた。それは、
▷窮地に陥った時の、動悸と同時に吹き出る汗、目眩を伴う発作的なパニック状態。
▷極度な憂鬱感や焦燥感からの激しい落ち込み。
▷深刻な不安からの無気力状態と強烈な喪失感。
▷子供の頃から初対面の人と接することへの抵抗感と憂鬱感。
▷怒りや強い不愉快の感情を消化するまで時間を要する。
などは性格ではなく、ASDの特性がそうさせていたとわかり腑に落ちた。
なにより受容の決定打となったのは、意外にも数字へのこだわりだった。昔から数字には人と比べて『なんかヘンなこだわりがあるな』と自覚はしていたが、それは単に、趣味が数学だった中高生時代の名残としか思っていなかった。それだけに、実際にはそれはASDのこだわりという部分の典型的な特性だ、と知った時は『これはもう受け入れざるを得ないな・・・』と思った。

——受け入れざるを得ない(笑)、それで受け入れた後の気持ちは?例えばラクになったとか苦しくなったとか・・・

ラクになったという意味では、人格的に欠陥があるとか、性格的なものではない部分からの現象があると知り、開き直れるようになったかもしれない。例えば『初対面の人と接することは大の苦手だけど克服しなければ』と長年悩んでいたが、悩むことを止めた。だからと言って、今でもそういう場所に行くとなると憂鬱になるし、初対面の人とばかり接すると気が滅入るぐらい消耗して、とてつもなく疲れて毎回途中で帰りたくなることは変わらない。
受け入れて改めて苦しくなったことはない。ただASDの特性がなくなって、いわゆる定型になったわけではないから、定型を基準にした世の中はある意味窮屈だし、定型的な人達の考え方にイラっとしたり、もどかしさを感じる時はある。ダイバーシティーと言うなら、発達障害とか定型とか関係なく、生きやすい世の中になってほしいものだ。

以上が、パートナーが受容に至った気持ちの変遷でした。最後は降参(笑)するように受容したようでしたが、ラクになった点があったことは意味があったと思います。余談として「定型は共感が必要だの空気読めだの面倒くさいことばっかり求めて、俺から見れば定型こそ定型障害だ(笑)」と言っていました。言われてみればASDの視点で定型(あるいは定型を基準とした社会)がどう見えるかをあまり考えたことはなかったな、とちょっぴり反省(笑)

数年の中でパートナーの私に対する私が起こした行動への嫌悪から拒絶、憎悪・殺意、空白、変容、軟化、関心、受容という変化を遂げながら、今の私とパートナーの関係があります。

感情的な行き違いが完全になくなったとは言えない中で、以前より格段に良い関係が築けている理由として、パートナーにあるASDの特性や特徴を人なら誰もが持つ得手、不得手に過ぎない、と肯定的に捉えていること、

【ショウ“ガイ”(障害)】という認識はまったくなく、個々人の【チ“ガイ”(違い)】と考えている

ことにあります。まだまだ理解に至らない部分も、時間をかけて理解に繋げたいと思っている自分がいます。

もうバトルになることはありませんし、カサンドラに戻ることもありません。これは私だけの努力ではなく、意識はしていないのかもしれませんが、パートナー自身の努力もとても大きかったと感じています。

パートナーはASD<連載②>:【カサンドラ愛情剥奪症候群編】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

連載2回目は<カサンドラ愛情剥奪症候群>についてお話します。

まず最初に、

私は日常起こるさまざまな負の感情に折り合いをつけることや気持ちの着地点を見つけることも時間が掛からず、ストレス状態からのリカバーも、イライラすることも少ないメンタル状態が安定しているタイプです。それだけに

まさか、そんな自分がカサンドラ愛情剥奪症候群になるとは思いもしませんでした。

さて、カサンドラ愛情剥奪症候群ですが、症候群と付いていても、実際にカサンドラ愛情剥奪症候群という医学的な正式名称はありません。カサンドラ愛情剥奪症候群とは病名ではなく、共感されず感情的な交わし合いができないことにより起こるさまざまな表れ方の【症状】をまとめたものと言えます。

私に表れた症状は、

<身体的>
不眠・過食・激しい体重変動・胃潰瘍

<精神的>
絶望感と強い孤独感・自己否定感情の増加・認知の歪み・解離

です。

私の場合、パートナーが【ASD孤立型】ということもあり、【人よりモノ(あるいは事象)に対して関心がある】【共感がなく感情の交流や気持ちに寄り添ってもらえない】【白黒思考で極端な認知の偏りがあり、行き違いが起こりやすい】という特徴から表れた症状でした。

しかし、必ずしもパートナーがアスペルガーでなくてもカサンドラ症状は起こるのです。認知の違いやコミュニケーションのズレ、スムーズにコミュニケーションが取れないため、誤解を生みやすい。また【感情の交わし合いや寄り添い、共感が得られないこと】が大きな原因です。

それはパートナー関係だけでなく、親子間、場所が職場なら同僚や上司部下の関係であっても起こり得るものなのです。

私のパートナーは繊細で傷つきやすい反面、とても頭が切れる人で聡明です。問題解決力も突き抜けて高く、そして正直。曲がったことが大嫌いで嘘をつきません。見た目は怖いのですが(第一印象はマフィアです(笑))。ひと言で言い表すと【孤高の人】です。

マフィアはともかく、前記の部分だけを見ると誠実で何の問題もないように思えます。ただ、アスペルガーの特性から『今の相手の気持ちを考えたら、この言い方(内容)だと嫌な気分になってしまうかも → だから気持ちを考えて思っていることそのままじゃなくて、配慮した言い方(内容に変えよう)にしよう』の部分が薄かったり、そもそもなかったりするので(想像力の欠如)、思ったことを思ったままの言葉で表出します。

言っていることがいくら正しいことであっても、これは時としてとても無神経で相手を傷つけ、まるで気遣いがないかのように映ります。実際「そんなこと言わなくても・・・悲しくなる」と話をしたところ、返ってきた言葉は

「俺は思ったことも言っちゃいけないのか、何も言えなくなる」「俺はそうは思わないし、みんなそんなもんじゃないの?」「俺が悪いのか」

でした。私はパートナーを否定する気や、ましてや攻撃しているつもりはまったくなく“今こう感じている”(だから、そんな言い方(内容)はやめてね)を伝えようとしただけです。

一つ、かなり特徴的なエピソードがあります。何年か前に、離れて暮らす実家の母が突然亡くなりました。あまりに突然だったこともあり、うまく悲しみの感情(現実)を受け止めることができず、泣きたくても涙が出ないという、自分に違和感を抱えたまま数日を過ごした後、帰宅しました。

パートナーに母が亡くなって悲しくてたまらないことなどを話しました。返ってきた言葉は、

「一般的に親は子より早く死ぬものだし、生きていれば皆いずれ死ぬものだ、なのにそんなに悲しむのはナンセンス」

でした。間違っていません・・・。むしろ正しいです、感情的な部分を考えなければ。

医学が発達していても今のところ人類の死亡率は100%ですし、一般的に子よりも親が先にお迎えがくるものでしょうから間違いではないのです。しかし、現実に照らし合わせた時、間違っていなくても肉親を亡くしたパートナーに対して掛ける言葉としては不適切です。何故なら、その言葉には“思いやりや気遣い”という共感や寄り添いが感じられないからです。

自分に肉親を亡くした経験がなくても『突然肉親を亡くしたら自分ならどんな気持ちになるだろう?きっととても悲しい気持ちになるだろう』と“想像”し、無意識にその気持ちや悲しみの感情に寄り添おうとし、労わりの言葉を掛けるのが一般的です。

あれは彼なりの励まし方だったのだろうか・・・と今なら少しわかるような気がします。でも当時はトドメを食らったように感じ、悲しい気持ちに寄り添ってもらえなかったことで「そう・・・だよね」と返すことしかできず、独りでズタズタになっていました。(母を亡くした悲しみと、その悲しみをわかってもらえなかった悲しみから孤独感倍増)

その頃には

『彼は共感することや気持ちに寄り添うのが苦手なんだから、それを求めてはダメなんだ』とわかってはいたはずなのに、

です。どこかで『この悲しみはわかってくれるだろう』という一般尺度での思い込みがあったからに他になりません。

これは最大の出来事ですが、ここまで至らない些細な出来事は日常的に起こりました。

徐々に心が擦り減り削られ乾いていき、自分の感情や気持ちを表すことが怖くてビクビクするようになり、周りには多くの人がいるのに、一番わかってもらいたい人にまったく伝わらない、わかってもらえない悲しみやもどかしさ、自分の伝達能力の無さを感じ、孤独感と絶望感を募らせていきました。

知人に〇〇なことがあってツラかった、と話をしても「男の人ってそういうデリカシーがないとこあるよねー、ウチの旦那だってさ・・・」に持ち込まれ、どこかで『いや、根本的に違う』と思っても、理解されないことを痛感しました。唯一、アスペルガーのパートナーがいる、過去にアスペルガーとお付き合いしていたという友人二人だけがわかってくれ、精一杯寄り添ってくれたことで本当に救われました。彼女たちがいなければ今の私は当然なく、完全に自分を見失い、自信を失くし、アイデンティティーの崩壊にまで行き着いていたかもしれません。

アスペルガーの特性である【共感がない】【感情に裏付けされた情動的な関わりが難しい】【無神経な言動で傷つけられる】などから、それらをまとめて表す言い方で“心の目が見えない”と言われることもあります。自分の中でなんだかストンと落ちた気がします。

パートナーがアスペルガーであること、そしてその特性は簡単に“理解する”“納得する”などと言えない面があると思っています。自分の中の今まで当たり前だと思っていたことがいとも簡単に崩れ去り、自分にまったく自信が持てなくなりますし、答えのない問いが常に頭の中にあることで疲弊していきます。

実際、私は現実感を感じられず、普段見慣れているはずの何気ない風景がモノクロにしか見えなくなったり、希死念慮(死にたくなる気持ち)なんてこれっぽちもないのに、気がつくとホームから足を踏み出していて(離人感)、しかも覚えていない・・・自分を自分と感じられず、自分の存在が透明になってしまったかのように感じたり、を経験しました。

あの頃の記憶の詳細を思い出そうとすると、しばらくは強い目眩や頭痛を覚えていました。今でも記憶が曖昧で靄がかかっているような感覚があります。

こうして自分のカサンドラを振り返るのは初めてです。

パートナーには「君は物好きだ、そんなんじゃ普通は面倒になるもんじゃないの?」と笑われますが、どうしてか悲しくなることはあっても嫌いになることはありませんでした。

自分の感情の出どころを「これは依存なのか恋愛なのか?」と客観視し、依存ならば互いのためにならないので私自身の気持ちの折り合いをつけ、離れていかなくてはいけないとひたすら自身と向き合いましたが、“パートナーと別れる”ことで私の中に引き裂かれるような痛みと悲しみ(要するに失恋)の感情は生まれても、“不安”はまったく生まれないことに気付き、これは依存ではないと判断しました。

何より、私はパートナーを大切に思っており、どんなことがあっても変わらぬ位置で変わらぬ想いで寄り添って共に生きていきたい、という気持ちが強かったので、必死でアスペルガーという摩訶不思議で厄介だけど魅力的な生き物(笑)を理解しようと努め始めました。

なぜそのような認知になるのかを考えること、コミュニケーションのコツや言葉ではなく行動に目を向けること、人より数倍脳が疲れやすいことから、一人っきりで過ごす時間が絶対に必要なこと、曖昧な表現は避けること、いきなりの予定変更など負担をかけることを減らすこと、理解できない妙なこだわりがあってもなるべく尊重する、あるいは見守ること・・・。

私自身、切り替えも消化も早く、比較的ポジティブ寄りなことと友人たちの助けもあって、折り合いをつけてからのカサンドラ状態からの回復はとても早かったように思います。

正直今でも時々、自分が弱り気味の時はフラフラ〜っとカサンドラに引っ張られそうになることはあります。

でも、もう大丈夫。

自分を見失いそうになる不安や、絶望して孤独感に苛まれることはありません。ひたすら堕ちていきそうな時でも、自分の気持ちを自分で立て直すレジリエンス力が備わってきたようです。

カサンドラ状態の時は、はっきり言ってとても辛かったです。二度とあのような思いはしたくありませんし、絶対にあの状態に戻りたくありません。

カサンドラ状態を脱出することは難しいと思っていますが、一人で抱え込みがちなカサンドラの人は、理解者と寄り添ってくれる誰かがいないと心が干からびていくことになり、孤独感を募らせますます辛くなってしまいます。

この本は私もボロボロになるくらい読み込みました(笑)定型と言われる女性(共感や寄り添いを求める)が読むと、かなり理不尽に感じる内容だと思いますし、気持ちの折り合いを付けるのに却って時間がかかるかもしれません。

【アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得】ルディ・シモン著/スペクトラム出版社

この本ではパートナーが男性という設定で書かれていますが、反対に置き換えても十分に『ははーん、なるほどね・・・』と腑に落ちる内容だと思うので、参考にしてみてください。

次回の連載最終回は、私のパートナーにじっくり聞き取りをしながら、当時の荒れた気持ちや拒否感情から、今現在アスペルガーの受容に至るまでの彼の心の変化を書いていきたいと思います。(10月21日月曜日予定)

パートナーはASD<連載①>:【アスペルガー疑惑編】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回から3回の連載コラムとして、

【私自身の実体験】

を元に、<パートナーのアスペルガー疑惑>、<カサンドラ愛情剥奪症候群>、<パートナーのアスペルガー受容>という順で、その一連の出来事を書いていこうと思います。

彼本人からの「書いてみたら?」がなければ、このコラムに掲載することはなかったと思います。

ではその初回として<パートナーのアスペルガー疑惑>についてです。

紆余曲折ありながらも6年の付き合いになる私のパートナーは知的にとても高い【ASD孤立型】です。もちろん、アスペルガーの“三つ組の特性”は持ち合わせていますが、色濃く表れている特徴と比較的薄い特徴があります。

宿泊先で“ジャケットから持ち物をデスクに出す”時に、毎回同じ並びできちんと揃えられていることが最初のほんの小さな違和感でした。

普段から人の行動や言動を細かく観察する職業癖がなければ『几帳面でキレイ好きなんだな』としか映らなかったと思います。当時を振り返ると『よくあの数々の修羅場を越えて今があるな〜』と思うほど、自分が心理士にもかかわらず、それはそれは壮絶なバトルが繰り返されていました。

付き合いが長くなるにつれ、私の違和感が増えると同時に彼の地雷(笑)を踏むことが多くなり、その時思ったのが『この人、どこに地雷があるかわからない。というか、地雷原?の地雷に常に足を載せている感じ?』という凄まじい緊張感でした。

何か気持ちの行き違いが起こるような出来事があった時、『なぜわからないの?わかってくれないの?なぜ?どうして伝わらない?』という感情的なスレ違いが起こると、考えや気持ちを互いに出し合ったり、擦り合わせをすることで相互理解を深めていきたいと思う私と、「そもそも他人と理解し合うことは不可能(ある意味正しい)なんだから、そんな努力は無駄でありナンセンス」と言う彼との間には当然軋轢が生まれるわけです。

真っ向から対立し感情的なぶつかり合いが発生し、私はひたすら気持ちの交わし合いがないことで心を削られ疲れ果て、彼は彼で「思ってもみないことを言われた」ことで、自らを責められている、否定されたと理不尽を感じ、激怒状態になり、険悪ムードが漂うことになります。

また、これも特徴ですが『感情的にまくし立てられたと(彼自身が)感じると、脳が言い返す言葉を探すためフル回転状態になるか、言い返す気すらすっかり失くしてしまう』ので、一切何も話さなくなるのです。表情は固定され、まるで能面のように、何を話しかけてもまるで届いていない(無視とはまた違う空気)感じです。

結果、最悪な空気からパッタリ連絡が取れなくなる・・・を何度も繰り返してきました。これは彼なりに乱れた心や気持ちを落ち着けるための、俗に言われる“クールダウン”の時間だったようです。その時間は数ヶ月に及ぶこともありました。

もとより、不快感情以外はあまり表に出さず、表情豊かなほうでもなく且つ眼光鋭い彼は“拒絶モード”に入ると、息をするのも憚れるほどピリピリの緊張感を醸し出し、「話すな、触れるな、近寄るな」全開で、何度も起こる感情の衝突で「君とは相性が悪い、別れよう」と話されたこと数え切れず・・・。

ひとつのエピソードですが、ある日鯉のいる池で一緒に餌をあげていたことがありました。離れた場所で鯉に餌をあげている彼の表情は、眉間にシワを寄せ、物凄く不快そうに見えました。『本当は嫌だったのかな、やりたくなかったんじゃないかな』と少し後悔だったのですが、実もとても楽しかったようなのです。

あの表情の裏にある思いを聞いてみると『子供の頃、おばあちゃんに近くの工場の中にある池によく連れて行ってもらって、鯉に麩をあげてたなぁ、あの頃は楽しかったな。池を作って毎日鯉に餌をあげる生活もいいなぁ』と、懐古しながらとても穏やかな気持ちだったそうです。

表情と感情(内面)が伴わないことがある、とされるアスペルガーらしいエピソードです。

さて、そもそも“相性”とは何だろう、価値観や人生観とは違う?と、私は負のスパイラルに突入し、答えのない問いに悩みました。猫をとても大切に飼い、一見他者に対しても優しくないわけではないのに、共感性が低く、感情や気持ちに寄り添えない彼を、そして感情を表現するのが苦手な彼をどうしても理解できず、当時の私は「どうして?」「なぜ?」をひたすら彼にぶつけていた記憶があります。

出会ってからのさまざまな違和感や、何かが起きた時の彼の認知の仕方や行動を総合し、自分のアンコンシャスバイアス(思い込み・自動思考)ではないか?と重ね重ね慎重に確認したところ、ひとつの結論に辿り着きました。

しかし、また私はここで、決定的な間違いを犯します。

ただでさえ拒絶モードに入りやすくなっていて、二人を取り巻く状況が良くないことをわかっていながら、私は彼に

アスペルガー関係の書籍と手紙を送り付けた

のです。

当然彼からすれば青天の霹靂で、激怒を通り越して憤怒の様相で「何を根拠に人を障害者呼ばわりするんだ」「親からも誰からも言われたことがないのに勝手に障害者扱いしやがって一体何なんだ、この野郎」と、それはそれは恐ろしい剣幕で取りつく島もなく一切話ができない状態に陥りました。思い出すと今でも背中に冷や汗が流れます。

最悪なタイミングで最悪な特大地雷を踏み抜いてしまった

のですから当たり前ですよね。

なぜそんな行動に出たのかを思い返すと、二人がうまくいかないのは、認知の違いがあるアスペルガーが原因ではないか?ということを何とか彼に知らせたかったのだろう、と思います(←小さな親切、大きなお世話)。と同時に無意識に『もうどうなってもいいや』という気持ちもどこかにあったのかもしれません。

その後、辛うじて細々と付き合いは続いていましたが「どうせ一緒にいても君は俺を“アスペルガー”として見ていくんだろ」とも言われましたし、心身ともに強く拒絶されているのがありありとわかり、まるで薄氷を踏むような時期でした。

私の小さな違和感からパートナーのアスペルガーを疑い始めたのは、出会ってお付き合いを始めて1年が経つ頃、感情的な交わし合いができないことから不安を募らせ、行き違いから衝突が増えたのは2年経った頃でした。

そして決定的な出来事である、書籍送り付け事件が起こります。

次回は、感情的な交わし合いがうまくいかないことから私に起こった、カサンドラ愛情剥奪症候群について書いていきます。(10月16日水曜日予定)