メディアが取り上げる発達障がい

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

最近、テレビ(主にNHK)が発達障がいについて取り上げることを目にすることが多くなりました。そのこと自体は、とても意義のあることだと思います。

一般に広く発達障がいが認知されることは、社会の発達障がい者への理解が進み、配慮された環境が整う可能性があるからです。市民権を得られつつあると言ってもいいかもしれません。

人の見る目が否定的から肯定的に変わる、人が無知から博識になる、この意義は非常に大きい。もちろん、まだまだ現実は厳しいものがありますが・・・。

一方で、メディアの発達障がいの“取り上げ方”に目を向けて見ると、いささか疑問と危惧を感じざるを得ません。

ADHDとASDに限れば、メディアの取り上げ方はどちらか一方だけと言ってもいいでしょう。そのため、発達障がいの特性もどちらか一方の特性を取り上げます。

これは間違ったメッセージになりかねません。

というのも現実は重複、つまりADHDとASDの両方を持っている人がほとんどで、したがって表れる特性もADHDの特性なのか、ASDの特性なのか、一般にはわかりにくいのが現状です。

ASDの場合、さらに大きく3つのタイプがあります。積極奇異型、受動型、孤立型です。この中でADHDとASD積極奇異型はその特性が似ている場合があるので、判別は困難です。

メディアが『わかりやすい内容』を重視するのは理解できますが、ADHDとASDを完全に分けて取り上げる、というのは乱暴でそれこそ配慮がない気がします。せめて『実際は重複の人がほとんどなので、その特性がADHDとASDのどちらなのか、見極める必要がある』ぐらいはアナウンスしてほしいと思っています。

重複の人がほとんど、ということをメディアは知らないことはないと推察します。事前に当事者や専門家に取材し、リサーチしているはずですから。それでも別々に扱っていることから推測できるのは、複雑になりわかりにくくなる、面倒なイメージが先行して、社会が(企業が)受容しづらい方向へ向かってしまう、などと考えたからでしょうか。本当のところはわかりません。

私たち視聴者に大切なことは、メディアが取り上げることは本当のことである一方、全部ではなく一部である、ということを意識することだろうと思います。関心があれば、自身で調べて理解を深めていけばいい。あくまでもメディアは知るキッカケに過ぎないもの、と思ったほうがいいかもしれません。

ここ数年、私たち視聴者もメディアの言っていることを鵜呑みにせず、自身で調べ自身の見解なり考えを持つ、という姿勢が問われています。発達障がいを取り上げる番組も例外ではありません。メディアで取り上げられている発達障がいの人たちは、あくまでも“例”に過ぎず、それで『発達障がいを知った気になる』のは極めて危険であり軽率であることを、ここで付記しておきたいと思います。

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ASD積極型/受動型【1】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、周囲の無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回まで【ASD孤立型重複なし】を特集していたので、今回から数回にわたり、日本人に多いと言われている受動型、積極奇異型についてお話ししようと思います。

息子も発達障害ですが、彼はADHD/ASD積極型の重複で、DCD(発達性協調運動障害)もあります。ド定型っぽい友人はもちろんのこと、周りにはクライエントを含め、さまざまな凸凹を持つユニークな友人たちがいます。

近年、発達障害という言葉が社会的に市民権を得て理解も進んできた感はあります。グレーゾーンも含めると7〜8人に一人は発達に何らかのアンバランスを持っていると言われています。と同時に、『なんちゃってアスペルガー』など都合よく発達障害を自称する人も増えてきた感があります(『なんちゃってアスペルガー』を都合よく自称する人は概ね定型だったりします)。

“発達障害”と一括りにされがちですが、発達障害であってもASDだけ、ADHDだけ、SLD(限局性学習障害)だけ、という人はほとんどいません。そのほとんどが重複です(故に、前回までの特集の『ASD孤立型重複なし』の人は本当に稀な存在)。

また、本人が気付いていなかったり、周囲の無理解から発達障害を拗らせて二次障害を併発してしまっている人も多く見られます。二次障害になっていると、表面症状にばかり囚われ、根底にある発達障害を見逃すこともあるので、発達障害に詳しい精神科や心療内科で相談しなければ、単に「鬱ですね、お薬出しましょう」になってしまいます。この場合、根底にある発達障害を無視しているので、いくら薬を出されても改善は見込まれません。もちろん、発達障害であっても日常困り感に対処した薬であれば対応できることはあるので(ADHDにはストラテラ、インチュニブ、コンサータなど)詳しいクリニックでよく相談することが大切です。

重複があると特定の場面、または場面場面でどちらか、もしくはどちらもの特性が複雑に表れ、共通する特性であっても濃淡に個人差が大きいため、簡単に“ASD”“ADHD”と言えない現実があります。

ASDには【積極奇異型】【受動型】【孤立型】【尊大型】があり、濃淡はあっても三つ組の特性を持ち合わせているのは同じです。発達障害は生まれ持っての脳の特性(私は脳のクセと捉えています)ですが、尊大型については、いきなり【尊大型】ということはなく、受動型→尊大型、孤立型→尊大型という過程を辿った結果のタイプです。

その過程には歪んだ認知や人間関係/周辺環境などが複雑に絡み、尊大型は家庭ではモラハラ、職場ではパワハラになりやすい特徴もあります。しかし、モラハラ/パワハラがあるから必ずしもASD尊大型ではありません。

いますよね、例えば普段から偉そうで人を見下すタイプの人(笑)。コンビニやスーパーで「オレを誰だと思ってるんだ!」と他者にトンチンカンに絡んでいたりします。そういう人は、ただの勘違いしている人か、やたら自己愛を膨大化させてしまった痛々しい人だろうと憐れみの眼差しで生ぬるく観察していみるといいと思います。要はASD の類ではなく『ただの器の小さい人』ということです。

テレビなどメディアで取り上げられることが多くなったASDやADHDですが、その取り上げ方はASDの特性、ADHDの特性、という単独での取り上げ方をしている番組がほとんどです。しかし現実はASDとADHDの重複を持っていることがほとんどです。そのせいか、ADHD重複があると見えやすい(気付きやすい/困り感として表れやすい)特性だけを見て、まとめてアスペルガーだADHDだと捉えがちなのが現状です。この点は気をつけなければいけないところです。大概は、ASDとADHDの両方を持ち合わせていると思って間違いないでしょう。

「遅刻が多い」「忘れ物ばかりする」「片付けられない」これらはADHDによくある特性ですが、ASDにも一見同じ表れ方をする場合があります。ただ理由がまったく違うので対応策も違ってきます。

忘れ物が多い、しょっちゅう物を失くす、この特性がある時点で、ASDであってもADHD(グレーゾーンも含む)重複と考えます。ASDとADHDの両方を持ち合わせている可能性が大ということです。

【ASD重複なし】は時間にキッチリ(実際、他者を巻き込みながら時間に並々ならぬこだわりを持つ人もいます)、また、こだわりやマイルールに忠実なので時間はキッチリ守ろうとしますし、部屋が一見乱雑に見えても本人はどこに何があるのか把握しているので、他者がそれを動かさない限り、物がどこかに紛れ込んだり失くすことはありません。自分のルールに則って持ち物を整理/管理しているので(出かける時に必要なグッズ、身支度を整えるのに必要なグッズのように)、よほど想定外のことが起きなければ、まず忘れ物もしません。

【ASD積極奇異型】は基本的に人見知りをせず、人と関わることが大好きなため、バウンダリーを無視し(もちろん空気は読めません)、ガンガン他者領域に踏み込んでいく傾向があります。ADHDと同じく人懐っこく一見人当たり抜群なので、最初は仲良くなれるように思えますが、慣れてくるとコミュニケーションコストが高く、疲れることや無神経な言動が目につき、最終的に鬱陶しがられ遠巻きにされてしまいます。人間関係の距離感が掴めないタイプですね。まさに息子はこのタイプです。

【ASD受動型】は日本で一番多いタイプなのではないでしょうか。同じく空気は読めませんが、積極奇異型のようにバウンダリーを無視してガンガンいくことはありませんし、穏やかで人当たりが良く、落ち着いていて、一見おおらかに何でも受け止めてくれるように感じるのが受動型です。

人当たりの良さからASDで結婚している人の多くが受動型だと思われます。穏やかで何でも受け入れてくれるようなおおらかさを感じるので、結婚生活に向き不向きはともかく、結婚に一番近いASDと言えるかもしれません。

ただ、そこはASDなので家庭生活を営むパートナーをカサンドラにしてしまう可能性は受動型であれ、どのタイプも同じで、悲しいかな高確率で相手をカサンドラ化させます。多少の違和感があっても踏み込んだ関係にならなくてはわからないことが多いので、「結婚する前にそういう人だとわかって結婚したんでしょ?」と言われても困ってしまうのです。←わかっていたら結婚しないかもしれません。

ASD孤立型がダントツでパートナーをカサンドラ化させると思っていますが(笑)、次は受動型でしょう。

ASD積極奇異型は鬱陶しがられ、ASD孤立型は他者に関心が非常に薄いので、お付き合いに発展しない、「何を考えているのかまったくわからない」とお付き合いは終了になり、結婚まで到達しづらい気がします。

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全3回:息子を例に発達障害を考える【2】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【1】に引き続き【2】となる今回は、生きづらさやさまざまな困り感が生活、学校でどのように表れ、その原因は何なのか、どう対応していっているのかをお話していきたいと思います。

息子には小学校高学年から徐々に特徴が表れてきましたが、大きく分けると認知、視知覚認知からで至るところで細々と重なり合った困り感として表れました。

まず認知面ですが、「友達に気に入らないことを強く言われた」と泣いて帰り、時間をかけ聞き取りをしていくと、端々で独特の捉え方をしていることや傷つきやすさを持っていることがわかりました。ASDにありがちな“前後の文脈に関係なく言葉の字面そのものを受け取る”“思い込みが強く修正が利かない”ところからです。

「掃除時間にふざけている人がいたから班長として注意した。そしたら、笑いながら『バッカじゃねーの、うぜー!』と言われた。」「僕は間違ったことはしていないしバカじゃない。お母さんも人にバカなんて言っちゃいけないって僕に言ったよね?僕『バッカじゃねーの』って言われた。とても傷ついた、これはイジメだと思う!」この翌日、登校渋りになりました。

確かに人に向かって「バカ」「うぜー」は意識的にせよ無意識的せよ、どちらでも良くはないと思います。でも、そんなに深く傷つき重たく捉えることなのか?と疑問に思う私がいるのは確かです。

画像はイメージです。

ここは本人の性格だと思いますが、サラッと「ちゃんと掃除やらないといけないよー」ではなく、結構強く言ったらしいのです。クソ真面目で自分なりのマイルール“だけ”は守ろうとし、そこから外れるのはどうにもこうにも認められない、

許せないというASDの特徴と、思ったことを思ったまま後先考えず且つ我慢できず口に出してしまうADHDの衝動性の両方の特徴

が表れています。

小学6年にもなると、言い方やタイミングを考えなければ『いい子ぶりやがって』と受け取られ、「バッカじゃねーの、うぜー!」と反発を喰らうと思います。こんなことばかりが学校生活で起こると、当然クラスメイトからは『面倒なヤツ』と思われ距離を置かれたり、クラスでの居心地が悪くなるのもわかります。

何度「正義が王道とは限らない。いくら正しいことを言っても、タイミングや言い方を間違えば反発を喰らい嫌われてしまう。そうなると自分の居心地も悪くなるんだよ」と話しても、残念ながら今のところまったく入りません。人の間違いに対しては、思ったことを思ったタイミングで言葉を選ばず(選べず)キリッ!と強く指摘し、思ったとおりの反応がなかったり反発されると「傷ついた」「嫌なことを言われた」そして「学校行きたくない」になってしまいます。多い時はこれが毎朝です。

明るく元気で成績も良く、素行にも問題なし、率先して手伝いもするし、できるできないはともかく何事にもクソ真面目に取り組み、困ったらすぐに先生に相談という姿勢は、先生達の評価は高くても、係などに立候補するだけしておいて、その係の仕事はサボり気味(ADHD特有の飽きっぽさ)でペアの児童に負担をかけまくり、そのくせ『すぐに先生に言いつける』『偉そうに注意する』『話をしていると割って入り、話したいことだけ話して人の話は聞かない』、これでは自分勝手極まりなく映るのは当たり前で、クラスメイトには嫌われやすいですし、遠巻きにされます。

これが独特の認知面から人間関係の拗れやぶつかりとして表れました。書き切れないほど多くのエピソードがあり、『そうきたか!』と驚きの日々です。

一度失敗(傷つき体験)すると、似た場面から全力で逃げようとするので(自分の心を守る防御反応でもありますが)、“振り返りからの反省”に上手く結び付けることができません。起こった出来事を繋がりではなく『嫌なことがあった、嫌なことを言われた』の一部だけを取り出し、ネガティブメモリーとして残るからで、これはASD独特の認知特性とも言えます。

それに加えて息子がややこしいのは、

ADHDも重複していることで、起こった出来事の嫌な部分だけは残るのに(ASD)、すぐに忘れて反省できない(ADHD)が重なり、対応がとても取りづらくなっている

のが現実です。

話は逸れますが、【散らかった部屋】を例にASDとADHDの違いを見てみましょう。

ASDには、キチッとラベリングして整然と片付けるタイプと、あちこちに物を置き一見散らかっているように見えるタイプがいるのですが、後者のタイプでも「どこに何があるか」は本人がちゃんと把握しており、片付けをしようと他者が勝手に物を動かすことをとても嫌います。自分なりの使いやすさやルールに則って置いてあるからで、無秩序に見えて実は彼らなりの秩序があるからなのです。

ADHDは、ただただとっ散らかします(笑)まるで、整理整頓という概念が備わっていないかのような無秩序&無秩序な散らかりようで、解決するには究極のミニマリストとして生きるか、自ら暮らしやすいライフハックを身に付けるか、親元で生活するか、お世話が気にならない面倒見のよいパートナーに恵まれるか・・・でないと、“瞬く間に物が消えるのに散らかりまくったカオスな空間”の住人になってしまいます。

なぜ片付けられないのか?は不注意や衝動性だけではなく、視知覚認知も関わってきます。

次の【3】では、軽く視知覚認知、視空間認知についての説明と視知覚認知機能、視空間認知機能がどのような形で日常動作に影響を及ぼし、どのような困り感を生んでいるのかなどをお話します。

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