⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、周囲の無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。
メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。
このシリーズの最終回です。
私たちは何かあったり何もなくても、ふと人恋しくなったり寂しさを感じます。わかってほしいのにわかってもらえない時やショックなことがあった時、気持ちが荒んだり落ち込んでいる時にも、孤独感や絶望感を感じます。
孤立型も寂しさや絶望感を感じることはあるそうですが、特に寂しさについてパートナーの場合、“行きつけの店がなくなってしまった”“桜が散ってしまった”、“夏の夕暮れ時にヒグラシの鳴き声を聞いた時”のように、愛着や風情に対してが主で、人恋しい寂しさではありません。基本的に人が好きではないですしね(笑)
長く一緒にいて信頼してくれているのか、私にはバウンダリーがほとんどないので弱音や愚痴を吐くこともありますし(ありがたいです)、孤独感や絶望感に苛まれている場面も見ていますが、それも私たち定型が感じる孤独や絶望とは種類が違います。
元より他者に興味がありませんし「相互理解なんてできないのが当たり前、できない努力をするのはナンセンス」という考えの持ち主ですから、【2】でパートナー自身が言っているように、他者に自分をわかってほしいとも他人を理解しようとする気持ちもなく、わかってもらえないからという理由で孤独や絶望を感じることはありません。
「人はわかり合えないものだ」とある意味達観していますから、そこにわかってもらえないもどかしさや、わからない不安を感じない、というところでしょうか。ただ、わかってくれたことに対しては「ありがたいな」と思うそうです。パートナー曰く、文字どおりの『(他者が自分をわかってくれることなど)“有り難きこと”』だからだそうです。
一人が心地よく、一人でいても孤独や寂しさを一切感じず、むしろそれを望む孤立型は、一体どのような場面で“孤独”と感じるのでしょうか。ネガティブな感情や気持ちに折り合いをつける過程もその一つでしょう。ただ人恋しさのような孤独を感じるのは、どんな場面なのか、パートナーに聞いてみました。
「そうだな・・・強いて言えば自分が信頼している人がこの世に誰もいない、と感じた時かな。その時は孤独を感じるかなぁ。あくまでも“オレが信頼している人が”、ね。つまり、その人がオレをどう思っているかは関係なくて、だから必ずしもお互い信頼し合っている必要はないんだよね。平たく言うと、オレがオレの味方だと“勝手に”思う人。友人とはまた質が違う。他者に興味や関心が極めて薄いのは確かなんだけど、自分が信頼する他者、あるいは自分が味方だと思う他者が身近にいてはじめて一人が心地いいと思えるという・・・アイロニーだね。オレは孤立型であっても世捨て人ではないから『無人島がパラダイス』ではないんだよな。そこは誤解しないでね。『港があるから航海できる』みたいなイメージ。まぁ大なり小なり矛盾を抱えた生き物が人間かもしれないけど。そう思うと自分も人間であり、その人間という生き物の性(サガ)をまざまざと思い知らされるね。ある意味人類最強なのは、カネ持ちでも権力者でもなく、世捨て人かもしれないと思うよ。」
私たち定型とは感じ方や感性がずいぶん違うことがわかるでしょうか。
こうやって見ると、発達障がいは重複しやすいと言われても、孤立型はADHDと対極にあり、重複しづらいことがわかると思います。何しろ、自分から他者と関わらない絶滅危惧種の孤立型に出会うこと自体が稀(奇跡といってもいいぐらいです)なので、データなど取れませんが、好奇心旺盛で気になることがあると次々とあちこちに興味が移る、失くしもの、忘れ物が多い、時間にルーズなADHD要素は微塵もありません。ASDしかないパートナーは超がつく慎重派で持ち物管理はキッチリしているし、逆算して遅刻しないように行動するので自己管理もバッチリです。ある意味定型よりもシッカリしている気がします。
私はアスペホイホイと言われてしまうほど、周りにASD(重複含む)が多くいます。アスペルガーのすべてのタイプ(積極奇異/受動/孤立)が勢揃いしているので、見えない部分のわずかな違いをつぶさに感じることができるのが実は楽しみでもあります。
発達障がい続きになりますが、次回から孤立型以外のASDタイプについて、カサンドラも絡めながらお話ししようと思います。
ひと言でASDと言ってもタイプによって(重複を考えないといけませんが)、すいぶん違うことがわかるコラムになると思います。
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